6.
という光

カタカタと音が鳴る。
「若、大丈夫?」
「これ位大丈夫だ。お前こそ、平気なのか?」
「もちろん」
俺は山道を、若を乗せた車椅子を押して進んでいた。
「お姫様を支えきれない王子なんていないでしょ」
「お前…一体どういう思考回路してるんだ?」
「さぁ?」
俺たちは今、山中にある別荘へ向かってる。
時期外れも手伝って、そこが一番静かで良いと思ったからだ。
いつ使用しても良い様に備蓄も清掃も行き届いてるし。
「あ、見えた。あれだよ」
「……夜になる前に着けると良いな」
「だ、大丈夫だよ。あと一時間半もあれば……きっと」
「断言しろ」
「じゃあ、一時間半」
顔を見合わせて、俺たちは笑った。
一歩一歩、お互いを感じながら歩いていける。

−−−

「一時間半、超えていたな」
「だって予想以上に道が回りくねってたんだもん〜」
明かりを着けた別荘の玄関で、俺は車椅子から若を抱き上げる。
「本当に大丈夫か、腕…」
「だてに速球打ちやってなかったよ」
開け放していた扉を潜り、部屋へ向かう。
「ほら、良い部屋でしょ?」
「……そうだな」
大きな南窓がベッド中央すぐ傍にある。
体を起こせばその位置に窓が来て、太陽も月も曇らなければ一日中見える。
今は東の空に小さく月が輝いている。
「ここが若の部屋。と言うより…俺たちの部屋」
予め上部を起こしておいたベッドに若を下ろす。
介護目的で設置してあった訳じゃないけれど、若の役に立って良かった。
「このリモコンで起こしたり下げたり調節できるから」
「分かった…」
見つめ合い、そっと、口唇を重ねる。
「…じゃ俺、ご飯作ってくる」
「ああ」
若の頬は少し、赤かった。
可愛いなぁ、若。
「あ、忘れてた」
「何だ?」
ポケットから小さなソレを取り出して、
「…はい、御守り」
「あっ…」
俺は若の首にクロスモチーフのペンダントを着けた。
「紐直すの忘れてて、結び目があるままだけどね」
「長太郎……」
俺は十字架を掌ですくう。
「持っててくれてありがとう」
「良いのか?これは…元々お前の……」
「若だから」
ニッコリと俺は笑いかけた。
「ね」
「……」
俺の手とサンドする様に、若の手が十字架に重なる。
「なら、貰っておく」
「そうしてくれると嬉しい」

俺たちの時間はゆるやかで、とても幸せに満ちていた。

「若、美味しい?」
「悪くない」
「それって…美味しい訳ではないんだよね?レトルトでも結構イイのなんだけど」
寝室で、俺たちは一緒に食事を取る。
テーブルの代わりが傍に置いてあるラックでも、気にならなかった。
「じゃあ明日、何か買ってこようか?」
「まだ備蓄はあるんだろ?なら無駄に…って、付いてるぞ」
「へ?」
若が俺の口唇の端を指ですくう。
次にその指に自分の口唇を寄せた。
「その歳になってもちゃんと食えないのか?」
「若……」
「ん?」
「俺嬉しい!前は絶対にしてくれなかったのに!」
「なっ」
俺の満面笑顔に若が赤面する。
「いっそ食べさせてよ。そしたら俺、こぼさないから」
「バ、バカ!調子に乗るな!」
「良いじゃない。俺の夢」
「なら寝て見てろ」
「じゃ、膝枕?」
「バァカ」
一通り言い合って、互いに目を合わせる。
しばし時間が止まったみたいに静止して、
「クッ、クク…っ」
「アハッ、ハハハッ」
二人して肩を揺らして笑い合う。
「少しは成長しろ」
「ああ、俺、若の前だと理性飛ぶみたい」
「傍迷惑な所だけ残ったんだな、おまッ、」
カシャン…ッ。
「ッ……!」
「若!?」
急に顔を歪めて、若が左胸を握りしめる。
食器が床へ落ちていく。
「若、待ってて。痛み止めと止血剤持ってくる」
「待て…」
「え?」
若の手が、俺の手を掴む。
「いいから待て…。お前が…お前がいれば、それで良い……」
「でも…」
「何でもない…。だから…手を離すな……」
「若…」
汗を浮かべながら、それでも若は俺を真っ直ぐ見上げてくる。
「分かった……」
俺は若と指を絡め、掴み合う。
空いた腕で、若を抱きしめた。
「ここにいるよ。ずっといる」
「…ああ。長太郎……」
「…………」
ずっと、若の傍にいる。
そうだ。俺はずっと若の傍にいたくて、生きていたんだ。
若の傍にいる事が、一番難しい事だから。



月が高い。
「明日は何をしようか?」
俺たちは一つのベッドで寝ていた。
「家の掃除じゃないか?久々に、しかも突然来たんだろ?」
「いや、それはちょっと…。明日は散歩にでも行こうよ、ここは空気も澄んでるから」
「そうだな……」
若が擦り寄ってくる。
「うん、そうしようよ」
俺は更に若を抱き寄せる。
若は大分落ち着いていたけど、まだ体は熱かった。
(もしかしたら思うより…時間は残されてないのかもしれない……)
不意に考えて、俺はそれを振り払う。
「ん……」
「若?」
若からの返事は無い。
代わりに一定のリズムで寝息が聞こえてくる。
「おやすみ」
若の額に口唇を寄せて、俺も目を閉じた。
(今この一瞬が幸せなら、それで良いや……)

−−−−−

カタカタと車椅子が揺れる。
やっぱり整備されてない山道に車椅子は無理があるかもしれない。
「ごめんねー、揺れるでしょ」
「平気だ。お前こそ押しづらいだろ。休んで良いぞ?」
「うん…もうちょっと。この先に平らな所があるはずだから」
「無理するなよ」
「うん」
ゆっくりと木漏れ日の中を若と歩く。
若が今着てる服は俺のなので、少し…いや、かなり大きい。
服位…ここ来る前に買えば良かったな。
「ほら、着いた」
「…………」
若が心を奪われたのが分かる。
「綺麗でしょ」
「そうだな……」
木々が途切れた先には僅かなスペースだけど、緑の絨毯が広がっている。
沢山の草花が風に揺れて、空がとても大きく近い。
「俺も初めて来た時感動したなぁ。深呼吸も気持ち良いしさ」
俺は木陰に若を連れて行く。
「でもはしゃぎ過ぎて、すぐ先の崖から落ちかけた」
苦笑して、緑の終わりを指差した。
「崖って言っても十数mなんだけど…その時、俺はまだ小さかったからメチャクチャ怖くて」
「お前…その頃から自制が無かったんだな」
「だって凄く綺麗だったんだよ」
「それは俺も認めるが…」
「違う違う」
「?」
呆れながら、若が首を傾げる。
俺は若の側面、車椅子の手すりに手を置いて答えた。
「ここって東でしょ?だから…朝陽が凄く綺麗だったんだ」
「朝陽……」
頷いてからしゃがみ、膝で立つ。
「向こうの山から昇ってくる朝陽が、紫色の空を蒼く変えていってさ」
「そうか…。それで引き寄せられて落ちかけたんだな。ドジ」
「う…」
そうキッパリ言われると、全く立つ瀬が無い。
一歩間違えたら命に関わってる訳だから、そう言われて仕方ないんだけど。
「だがそんなに綺麗だと言うなら、俺も見てみたいな…」
東の淵を見ながら若が微笑む。
俺は若の手を取った。
「…そうだね。今度、早起きして見よう」
「俺は落とすなよ?」
「若を落とす位なら、俺が落ちる!」
「落ちるな」
そうして微笑みが、また呆れに変わる。

俺には『明日』とか明確な日時を言えなかった。
若もそれを聞かなかった。
早起きがどれだけ若に負担がかかる行為か、俺たちは分かっていた。
昨日の今日ではまだ何も言えなかったんだ。

「そろそろ戻るか?」
「何で?」
若が太陽を見上げる。
「もう昼だ。昼食の準備をしないと」
「ふふふ」
「何だ、気色悪い」
「気色悪いって…」
相変わらず率直につれない言葉を吐いてくるなぁ。
「実は既にお弁当を作っておいた」
「え?」
「若の車椅子の下に、収納しておいたんだ。
 お弁当って言っても、おにぎり程度で地味なんだけど」
そう言って俺は車椅子の下から、ランチボックスを取り出して見せる。
蓋を開けると、振動でちょっと型崩れしたおにぎりと冷凍食品のオカズ。
「長太郎……」
「食べて、若」
「……すまない」
若は少し照れた顔をして、おにぎりを手に取った。
それから一口頬張って、
「美味しい」
「どういたしまして」
嬉しそうに二口、三口と食べていってくれる。
俺も楽しくて、地面に座るとおにぎりを口に入れた。
「ん」
指に付いた粒まで食べながら、視界に入ったある物にふと思いつく。
「わかぁ」
「どうした?」
食べるのを中断した若の目の前に、サッと差し出す。
「プレゼント」
「は?」
驚いた様な気の抜けた様な若の声。
俺が笑って差し出したのは、一輪の草花。
淡い色の花びらが凄くささやかで可愛かった。
「可愛いでしょ?若にピッタリ」
「お前……男が花を貰って喜ぶとでも思うのか?」
「俺は若がくれる物なら何でも喜ぶ」
左手で、若が花を受け取る。
まじまじと観察したり、くるくると花を回してみたり、若の仕種もとっても可愛い。
こんな事を口にしたら確実におにぎりが飛んでくるので、今は言わないけど。
「似合うよ、若」
若を見つめて、クスリと笑う。
ほのかに染まる若の顔には、何処か悔しさも混じっていた。
「仕方ないから、貰っておいてやる」
「いっそ髪に挿したら?」
次の瞬間、俺の顔は米粒で塗れていた。
俺はやっぱ、少し自制を覚えた方が良いのかもしれない。

−−−−−

そして今日も夜は更けて、また俺たちは寄り添ってベッドに入った。
ラック上のコップの中では花が月光を受けている。
「若…今日は疲れたでしょ」
「別にどうって事はない…」
そっと若の髪を指で梳き、静かに言葉を交わす。
「明日は家でゆっくりしよう。たまには昼まで寝るのも良いかもね」
「それは逆に疲れないか?」
若は俺の腕を枕にして、俺と視線を重ねている。
こうして甘えてくれる若を見てると、誰より優しくなれそうな自分に気づく。
本当は若が、誰より不安がっている事に気づく。

もっとずっと一緒にいたい。
傍にいればいる程、幸せで切ない。
人は欲張りな生き物だから。

「まぁ、明日の事は明日決めよっか」
「そうだな。…おやすみ、長太郎」
「おやすみ、若」

そうして俺たちはいつも一緒に過ごした。
何処に行くにも何をするにも、互いを感じる距離にいて。
笑い合って、素直な想いをぶつけ合う。
決して止まる事はないけれど、ゆるやかな時間を感じていた。

俺たちは今、愛し合ってるんだと思う。

簡単に『愛してる』と言えた頃とは違う、深い想い。
『好き』では到底足りない、無限に溢れる想い。

そこまで想い合える相手と既に出会っていたのに、
気づくまでに随分かかっちゃったよね。

教えてくれて、ありがとう…―――――。

−−−−−

「長太郎?」
目が覚めた時、抱きしめてくれていた恋人はいなかった。
瞳を擦りながら、若はラックに手を伸ばしリモコンを取る。
花はもう無い。しおれ始めた為、栞にする事にしたからだ。
ウィィィン…と機械音と立てて、ベッドは少しずつ傾いていく。
「長太郎!」
もう一度恋人の名を呼ぶが、返るのは静寂のみ。
「…………」
何処に行ったのだろう。
思いながら、だが若は窓から外界を眺めた。

信じているから。
彼が帰る場所は今はここだけだと、強く確信しているから。

「ダメだな、俺は…」
若は呟く。
「もっと生きたいと思ってしまう…。今が幸せなら、それで良かったのに…」
傍にいればいる程、想いが募る。
いつかの未来、恋人の隣に自分がいない事を考えるだけで言い知れぬ寂しさが胸を占める。
この言葉を恋人が聞けば、彼は己を責めるだろう。
だから若は言葉をかける。
「安心しろ。俺は後悔していないから。
 ただ遣り残した事があるから……感傷的になっているだけだ」
そう空を仰いだ若の微笑みは、とても純粋だった。

−−−

「あ、ごめん、若!」
「…長太郎」
若は何故か頬染めした顔で、俺に振り向いた。
「ごめん、もう起きてたんだね」
「いや、今起きたばかりだ」
その表情は物凄く優しくて、俺はベッド近くにイスを引き寄せて座った。
「何処に行っていたんだ?」
「ちょっと買い物に。若が起きない内に終わらせようと思ってたんだけど…本当にごめん」
「謝る位なら一言言えば良かっただろ」
「そうもいかないんだ」
俺は寝癖がついてた若の髪を撫でる。
「すぐ準備終わらせるから、もうちょっとだけ待ってて」
「準備?」
「楽しみにしてて。俺、頑張るから」
「?」
若は目に見えて『?』が周囲を飛び交いそうな程、不思議そうな顔。
「待っててね、若」
「わっ」
不意打ちで頬にキスをして、俺は怒られる前に部屋を駆け出た。

−−−

数十分後、俺は一人満足していた。軽く自画自賛。
早くこの想いを若にも分けたい。
「若、お待たせ」
「随分と…騒がしかったな」
「ちょっと慣れない事も多くてさ」
ベッドから若を抱え上げ、扉へ向かう。
「長太郎、車椅子は…」
「今日はいーの」
扉を潜ってダイニングへ出ると、
「――――」
若の驚きが伝わった。
テーブルの上にはレトルトや冷凍では在り得ない、ランチとケーキが並んでいたから。と思いたい。
「これは……?」
「俺が作ったのと買ってきたのと。凄いでしょ」
笑いかけて、俺は若をイスに座らせた。
「本見ながら作ったのって、実は初めてなんだよね」
「長太郎……」
俺は若の正面のイスに腰掛けた。
「ハッピーバースデー、若」
「はぁっ?」
若の間の抜けた声が、俺の耳に届く。
「俺の誕生日は12月5日だぞ?」
そう。若が驚くのも無理は無い。
だって今日は『12月5日』でも何でもない。
それでも俺は両肘を着いて、ニコニコしていた。
「良いんだよ。これは今までの若の誕生祝だから」
「?」
「俺、昨日の夜思ったんだよね。ここ数年、若の誕生日祝ってあげられなかったなって」
体を起こして、
「一度気づいちゃったら居ても立ってもいられなくて、準備に奔走しちゃった」
俺は姿勢をピシッと正す。
「おめでとう、若。これからもよろしく」
「……バカ」
微かな声が聞こえた。
「そんなの俺だって同じだろ。俺もお前の誕生日を祝っていない。
 それに黙ってされると……俺にはお前に返せる物が何も無い」
バツの悪そうな顔で若が俺を見る。
俺は律儀な若に、笑い返した。
「良いんだよ。若が傍にいてくれるなら、それが何よりのプレゼントだから」
「……真性のバカだ、お前は……」
テーブルに置かれていた若の手が震える。
俯いて瞳を前髪で隠し、しばらくそのままでいた。
まるで泣くのを我慢しているみたいだった。
「食べよ。冷めない内に」
「…………」
俺は取り皿に若の好きな物を盛っていく。
はい、と若の前に置くと、若はやっと顔を上げた。
ああ、やっぱり泣くのを我慢してたんだ。

「ありがとう、長太郎」
それはこっちのセリフだよ。

−−−

「じゃ、俺ちょっとトイレ行ってくるね」
「ああ」
若は見送って、取り皿にまた料理を乗せた。
恋人の作った料理は、若にはとても美味しく感じられた。
(怖い程の幸せとは、こういう事を言うんだな…)
若は彼の席に向かって微笑む。
昔の自分だったら考えられない姿だ、と苦笑する。
(長太郎と出会わなければ、こうも感情を表に出す事など無かったな)
いつからだろう。
笑顔も感情も、彼から教わった。
この想いも幸せも、彼がいたから手に入れられた。
若はそうっと、胸にかかる十字架をすくう。
「俺は…」

ドクン!

「ぁッ……」
唐突な息苦しさが若を襲う。
「ゲホッ、ゲホッ…!」
気管に何か入り込んだのかと、若は手を口で抑えて咳き込んだ。
「ッ、、っッ、、、!」
若の背が大きく揺れる。
「、ッ……はぁ…っ……」
咳が一応収まって、若は手を離して大きく息を吸う。
「あ……」
己の手を見て、若は愕然とした。
若の手は自身の血で濡れていた。
「何で……」
頭が朦朧としてくる。
呼吸の乱れが収まらない。ただ座っている事さえ――――

ガター…ンッ!!

「かはッ…!」
若はイスから崩れ、床に叩きつけられる。
胸が痛い。胸の辺りが、何かでじとりと濡れていくのが分かる。
「ダメだ……俺、俺ッ…まだ……っ」
左胸を押さえながら、若の瞳には涙が滲む。
「長太郎……ッ」
声を発する度に、若の口からは血が零れていく。
若は泣いていた。
「俺…ッ…まだ、……まだお前に……」

視界が薄れていく。

世界も現実も、意識も嘆きも、、、遠のいていく。

『……!』

意識が消える直前、大好きな声が聞こえた。

−−−−−

「若……」
苦しい。
痛いのは俺じゃないのに。
「若…ッ…」

俺がダイニングに戻った時、若は血塗れで倒れていた。
これが、薬が切れていくという事だ。
『あの日、若はこう死ぬはずだった』と現実が逆行していく。
時が刻まれる毎に、若は死に近づいていく。
いくら『一瞬』を大切にしていても、否応なしに自覚させられる。

俺はベッドに眠る若の手を握り、若が目覚める事を祈るしか出来ない。
「…………」
長い間ずっと、ずっと手を握っていた。
「…………」
そうしていたら、
「!」
か弱い力で俺の手が握り返される。
「若……?」
「ちょう…たろう……」
静かに若の瞳が開く。
「若…」
嬉しさが胸に込み上げて、俺は若の顔を覗き込んだ。
「俺……まだ、生きてる……」
「うん…」
そっと覆う様に抱きしめる。
「良かった……」
「…………」
若の手が、俺の肩に触れる。
「もう…大丈夫だ」
「嘘。大丈夫なんかじゃないくせに…」
「いや、長すぎる昼寝をしたからな……」
「若…」
体を起こして、俺は若を見つめる。
まだ若の顔は少し青白い。なのに若は笑っていた。
「もう落ち着いた…」
そう言ってリモコンを取ると、ベッドを起こす。
「少し…喉が渇いた」
「あ…じゃあ持ってくる」
「頼む…」
俺が部屋から出ていくのを、若はじっと見ていた。

−−−

パーティの脇を過ぎ、俺は冷蔵庫からペットボトルを取る。
駆け足で若の下へ戻る。
「若、お茶で、……」
部屋の入り口で、俺は呼吸を忘れた。
「悪い…。喉が渇いたなんて嘘なんだ…」
若はベッドから膝下を投げ出し、ベッドに腰掛けていた。
傾きは平らに戻されている。
「ダメだよ、若。寝てないと」
「寝ているのにも疲れたんだ」
「それでもダメだよ……」
「いいから」
若が俺に向かって両腕を広げる。
「来いよ。俺の傍」
「若……」
俺は、若が辛いのは間違いないと思ってる。
だけど若は笑うんだ。
笑って自分の太腿を叩く。
「ここに来い」
「そんなの…」
「俺に恥をかかすな」
「でも…」
「良いから」

「甘えさせてやるよ、長太郎」

トンッ――――。

ペットボトルが床で跳ねた。
「甘えても……良いのかな?」
「ああ」
「俺は……若に甘える事、…許されてるのかな……?」
「長太郎」
おぼろげながら近づいていた俺の手を、若が握る。
「俺が許すから。俺以外は気にするな」
「わか…」
俺はその場にゆっくりとしゃがみ込む。
膝で立って、若を見上げて、
「うぅっ……ッ」
若の太腿に顔を埋めて泣いた。
「っ…うっ、ぅ……ッ…」
「…………」
そぅっと若の手が俺に下りる。
「ごめん…ッ、お、俺なんかよりずっとっ……若の方が苦しいのに……俺ッ」
「お前が俺の分まで泣いてくれるから、構わない」
「でも…っ」
「お前はいつも誰かの為に泣くからな…。たまには自分の為だけに泣けよ」
「うっ…」

―彼はあたたかい―

「ぅあぁ゛ああ゛ぁあ゛あ゛あぁぁッっ……ッ!!」
堪えていたもの全て吐き出す様に泣き叫ぶ。
慈しみに満ちた手が、俺の頭を撫でてくれる。

「…………」
若は想いを噛み締める表情をして、天を仰いだ。

 幸せに生きたい
 幸せに逝きたい

 だから 今


(俺は長太郎を愛している……)





しばらく後、俺は落ち着きを取り戻していた。
若が許してくれるので、俺は今も若の太腿に顔を寝かせている。
世界は静かで、例えば時間さえ止まっている様だった。
「若……」
「ん…?」
俺たちの発する声も、静寂に溶け込んでいく。
「若、お母さんみたいだ…」
「男に母親を求めるなよ…」
若の声は優しくて、
「だって凄く安心するよ…」
「バーカ」
心地良い響きを俺に贈る。
「…長太郎」
「何…?」
俺の頭に手を添え、若が想いを紡ぐ。
「独りでいた時、俺はずっと『あの時死んでいれば良かった』と思っていた」
「…………」
「お前が笑わなくなって、想いがすれ違って、こんな思いを抱えて生きる位なら、
 あの時お前を想ったまま死んでいたかったと……そう思っていた」
俺の頭を抱く様に、若が前のめりになる。
「だけど今は違う」
若の微笑が感じられる。
「例え間違った存在でも、長太郎と生きていられるのが嬉しい」

「あの時俺を生かしてくれて、ありがとう」
(若……)

こんなに人を愛することは、もう二度と出来ない

「…伝えられて良かった」
(…………)
俺も同じ想いだと、心から思った。
言葉にするのは、、、止めたけど。


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