5.Being most i
mportant

決意から数年が経っていた。
俺は薬学科の道に進んで、薬の解析を進めていた。
若は……今もまだ、見つかっていない。
『本気で探してないんだろ』って責められるかもしれない。
けど若は『鳳 長太郎』個人として見つけなきゃいけないと思ったから。
そうじゃなきゃ若は、何度見つけ出したって逃げていく。

だから時間を作っては、俺は日本中を歩いた。

そして今日も、知らない街を歩く。
気分転換を兼ねた、俺の日課。
「…………」
風を受けて、空を仰ぐ。
同じ空の下に若がいる事だけは分かるのに。
ピルルルル♪
「…もう『散歩』も終わりか」
鳴ったケータイを取り出して、電話に出る。
「…ああ、すぐ戻るよ。そうだな……今は傍に建設中のビルがあるかな。……駅で待ってて」
ケータイを切ってポケットに仕舞う。
前を向いたその一瞬に、誰かとすれ違った。
「――――」
俺の呼吸が止まる。


「若――――?」


慌てて振り返る。
こちらへ振り向いていた相手は、目深に帽子を被っていたけれど、
「若……」
「…………」

いつの間にかモノクロだった想い出が、昨日あった事みたいに色づいていく。

「久しぶり…」
自然な程、足は前に進んだ。
「ダメだよ。そんなに深く帽子被ったら、前が見えないよ」
「どうして……」
帽子を取ると、薄い茶系の髪が風に揺れた。
嗚呼、若だ。
「若を迎えに来た」
「あっ…!」
俺は若を抱きしめた。抱きしめる事が出来た。
「もう俺は迷わない。若を離さない」
「長太郎……」
若はそっと瞳を閉じて、俺に体を預けてくれた。
「帰ろう、若」
「……俺は……」
「薬の解析もずっと進んだんだ。もうすぐ俺が見つけてみせるから」
「!」
「わっ」
急に若が俺の腕を払う。
俺の肩を押して、俺から離れる。
「若…」
若は首を振った。
「俺は戻らない」
「どうして!?」
「言っただろう、俺の事は忘れろと!」
「若!」
抱き寄せようと手を伸ばせば、若はそれも弾いた。
「何を考えているんだ、お前は…。この数年を全て、お前を捨てた男の為に費やしたのか…?」
若はあの時と同じ悲しい瞳で、俺を見ていた。
「俺の事など忘れて、新しく生き直せば良かったのに……」
「忘れられないよ…」
「忘れろ!俺は……俺はお前の重荷にはなりたくない!!」
俯いた若の頬を、涙が伝う。
「お前は…俺といると辛いから、…お前が俺に躊躇っているのが分かるから……」
声まで若は、涙で濡らしていく。
「俺は……お前から笑顔を奪うから……」
「……そうだね」
俺は、一言呟いた。
「若は俺の重荷かもしれない」
「……」
「だって若の存在は凄く大きいよ。大きすぎて半端な覚悟じゃ背負えない、大切な俺の荷物」
「え…」
「片時だって離したくない、いつだって背負っていたい……俺の全てだよ」
俺は若に向かって右手を伸ばす。
「言ったよね、俺は若の事を何も分かってないって。うん、俺…分かってなかった。今も分かってないかもしれない。
 でも、若も俺の事を分かってないよ」
「!」
俺は泣いていた。
カッコ悪いな。泣かないって決めたはずなのに。
「俺今、心から笑ってるんだよ?」
「長太郎……」
若の瞳からも、止め処なく涙が零れる。
「俺に笑顔を取り戻してくれた相手は、若なんだから」
「…………」

若の左手が、上がる。
恐る恐る、若の手が俺の手に伸びてくる。
ゆっくりと、今までの時間を確認する様にゆっくりと。
俺たちは見つめ合ったまま、近づいていく距離を感じていた。

「若!」
「あっ」
触れ合う直前に俺は若の手を握り、思いっきり引き寄せた。
「ずっと傍にいて。もう二度と離れたりしない様に」
抱き締めて、俺はまた泣いた。
嬉しいから満面に笑って泣いた。
でも不思議だ。この涙は辛くない。
若は、思い詰めた心が解放されるのを感じていた。
気恥ずかしさを振り切って、ほんの少しの間だけ若が俺の肩に顔を乗せてくれた。
「少し…小さくなった?」
「バカ。お前がまた一段とデカくなったんだよ」
「そっか」
「ああ」
温かい手が、俺の涙を拭ってくれる。
俺の顔を包む様に、そっと優しく。
『あの時』と違うのは、若が今微笑んでくれている事。
「お前は変わらないな…」
「若だって…ずっと同じ笑顔だよ」

バカみたいかな?
もう大人になろうって年齢した男二人が、
人目が無いからって泣き合って抱き合って。
それでも

「俺の『幸せ』……やっと見つけた」
「恥ずかしい奴……」
赤い顔で呆れて若は俺を見る。
「仕方ないよ。俺は正直者だから」
「よく言うな」
俺たちは見つめ合う。
「キス…しても良い?」
「……バカだな、お前」
ギシッ。

「俺もずっと」
パキィィィィン!!

「え?」
何処からか響いた音が、若の言葉を掻き消して、
「!」
空から降る鉄パイプの束に先に気づいたのは若だった。
俺は若を見ていたから。
「っ……」

若の両手が俺の肩に当たる。
若の瞳に俺が映る。

「うわぁっ!?」
俺は強い力で突き飛ばされた。

ガシャァアァアアァァンッッ!!!!

「な、何……?」
突然の衝撃と轟音に、頭がクラクラした。
「…?」
尻餅をついて倒れた俺の足に、何かが当たる。
「え…?」
カラカラと音を立てながら、沢山の鉄パイプが転がっていく。
「あ……」

ドウシテ。

「わ…か……?」

ヤット会エタノニ、コンナ……―――――。

衝動のままに立ち上がる。
一足遅れて、声が競り上がってくる。
「若ぁッッ!!!!」

世界が赫い。
若は仰向けに倒れていた。
若に落ちた鉄パイプたちが、若の上から転がり落ちていく。
その中で一本だけ、転がらず垂直に建っている物がある。

若の左胸を貫く、鉄の棒。

「若ッ!」
駆け寄って、抱き上げようとしたけど出来なかった。
鉄パイプは若の体を貫通し、アスファルトにさえ刺さっていたから。
若の血が、赫く熱く流れていく。
「…ょ…た……」
「若?」
微かな声と共に、口唇からも赫い筋となって流れていく。
「良、かっ……た……」
「若……」
「無…事、で……」
体を貫かれてるんだ。
『痛い』なんてもんじゃないはずなのに。

若は、微笑んでいた。

「…!」
そして俺は気づいた。
恐らく倒れた衝撃でシャツの中から飛び出したに違いない。
若の胸に輝く銀色。傷だらけの十字架。
遠いあの日捨てた、俺のペンダント。
それが今、若の首から下がっている。
「若……」

若は、あの時俺の傍にいたんだね。

「ずっと、俺と一緒にいてくれたんだね……」
「長太…郎……」
若の手が、俺の頬に触れた。
俺はすぐに若の手を取る。
「俺……」
「若、喋らないで…」
死なないって、死ねないんだって頭では分かってる。
それでも見てられないよ。
若は凄く苦しそうで、凄く痛そうで、血が沢山出てるんだ。
「俺も……」
「ダメだよ、若っ…」
カッコ悪い。何も出来ない。
若が肩で息をつきながら、俺を引き寄せようとする。
「聞けよ……、一言……だから……」
「でも、」
グ、っと俺の襟を掴み寄せて、
「――――」

若は俺とキスをした。
「俺……ちょ…たろ、…ずっと……想って………」

「あっ…」
若の手が離れる。
糸を失ったマリオネットみたいに、若の体は動かなかった。
開かれた瞳に、もう俺は映っていない。
「若っ!?」
微かに漏れる吐息から、俺はまだ若が生きているんだと知る。
「…………」
赫い若はとても哀しくて、とても綺麗だ。
安堵と恐怖が俺の胸を締め付ける。
「若……」
指を絡めて若の手を握り、俺はただ若が悪夢を見ないよう祈るばかりだった。

−−−−−

ガラスの向こうに若がいる。
鉄パイプは完全に心臓を貫いた訳ではなかったけど、『普通』なら即死でもおかしくなかったそうだ。
「…………」
ガラスに手を当てて、若を見る。いつか見た光景と似ていた。
言葉も感情も、何も出てこない。
「…………」

何て言葉をかければ良い?
何て感情を表に出せば良い?
『ありがとう』も『ごめんね』も、残酷なだけ。

コツン、とガラスに頭をぶつける。
「鳳ッ!」
「……先輩」
息を切らせて、跡部さんが駆けつけた。
若の事はスタッフを除けば、彼にしか知らせていない。
「…事情は聞いた」
跡部さんもガラス越しに若を見る。
「変わんねぇな、アイツ」
「何で…若なんでしょうか……」
「…?」
「俺だったら良かったのに…。若を守ると決めたのに……」
俺ばかりが守られる。
想う程に否定される。そんな気がしてくる。
「何で若ばかり…ッ!」
俺は拳をガラスに叩き付ける。
「罰ですか…?俺が生死を捻じ曲げたから、だから…。
 なら俺を殺せば良いのに…。それとも俺の目の前で若を傷つける事が罰だって」
「バーカ」
一言。
跡部さんが俺を見た。
「お前、神信じてんのか?」
「……いいえ」
「なら気にすんな。先に気づいたのが日吉だっただけの話だ」
跡部さんは本当に強い。
「俺、守られてばかりですね…」
俺は本当に、『何も』変わってないんだな。
「強くなれたと信じていたのに……」
「……」
跡部さんが俺たちに背を向ける。
「日吉の今後について、聞きに行ってくる」
「お願いします……」
遠ざかっていく足音。
少しして、ピタリと止まる。
「お前は強くなったと思うぜ?」
「……え?」
「日吉を抱きしめたんだろ?それで十分だ」
再び足音が、廊下に響き出す。
俺は若へ向き直り、若を見つめた。

『長太郎』
「…そうだね。あの『日吉 若』の愛を二度も手に入れた男なんて、俺しかいないよね」

でも俺はきっと、まだ弱い。
だからもっと強くなる。
若に降る悲しみは、俺が振り払ってみせる。
若に降った悲しみは、俺が全て分かち合う。

「若が傷ついたら、俺が癒してあげる」

――何故だろう。
聞こえるはずないのに、眠ってるはずなのに、若が微笑んでくれた気がするよ?
「これは流石に、調子に乗りすぎかな?」
俺も微笑む。

「俺たち、今度こそ幸せにならなきゃ」

−−−−−

数日後、若の傷は塞がれた。
もちろん外側だけで、内側にはまだ酷い傷が残っている。
「もうすぐ起きる時間みたいだよ?良い夢見てるなら、今の内に完結させないと」
人工呼吸器も外され、今は点滴と心電図のみになっていた。
俺は近くのイスに腰掛けて、若の手を握る。点滴チューブ無い方の。
「でも早く起きて。夢の続きは俺と一緒で良いでしょ?」
不思議だった。
若が傍にいるだけで、こんなにも安心する。
こんな気持ち、ずっと忘れていた。
「大好きだよ、若」
コンコン。
「あ、はい」
良い所だったのになー。
俺はベッドの向こうにある扉に返事した。
「ちょっといいか?話がある」
声の主は跡部さんだった。
「はい、どうぞ」
「いや…お前が来てくれ。奥の会議室で待ってる」
「……?」
何だろう。俺は首を傾げる。
若の前じゃ話せない話だろうか。
それとも俺が余りに若にベッタリだから、呆れて別の場所を指定したんだろうか。
「あー…こっちっぽい」
苦笑して、俺は若を見つめた。
「すぐ戻ってくるから」
一瞬だけ、若の頬にキスをする。
「あと出来れば俺がいない内は起きないで欲しいかな……なんて。じゃ、行ってくるよ」
若の手をベッドに仕舞って、俺は部屋を後にした。

−−−

「話って、何でしょうか?」
指定された会議室に入ると、俺はすぐに切り出した。
「お前……後悔してないか?」
「?」
「日吉に薬使った事、後悔してねぇよな?」
跡部さんは俺に背を向けていたから、その表情までは分からなかった。
どうして今、そんな事を尋ねるのだろう。
けど俺は笑顔を浮かべたまま、思いのままに答えた。
「正直…分かりません。その答えはきっと、これから分かるんだと思います」
以前の俺だったら、答えられず逃げていた。
これだけでも俺は成長したのかな。
「俺たちは悩んだ時間の方が多かったから。
 これから若と二人で幸せになって、生きてみなきゃきっと分からないと思うんです」
「そうか…」
跡部さんが体ごと振り返って俺を見る。
「それは…?」
俺へと伸ばされた先輩の手には、点滴パックが握られていた。
「若の……ですか?」
「ああ」
だけど色が、違う気がする。
言い知れぬ不安が俺を包む。
「使え」
「何ですか……これ?」
受け取って、窺う様に彼を見る。
「中にあの薬が溶かしてある」
「え?」
「使わなきゃ、日吉が死ぬ」
「!」
俺は思わず、呼吸を忘れた。
「な、何で…何でそんな…。だって若は…既に薬が……」
「DNAが…再び書き換わり始めてる。いや、元に戻ろうとしてるのか」
「そんな!どうして今になって!」
跡部さんがフ…と視線を外す。
「この数年、日吉は何度死んでるんだ?」
「えっ?そ、れは…分からないですけど……」
「死にすぎたんだよ。薬の効果が追いつかなくなって、切れようとしてる」
「で、ですが今回だって、本来なら致命傷だったって……!」
俺は動揺していた。
跡部さんは何を言ってるんだろうって、何も分からなくて。分かりたくなくて。
「命を取り留めてんのは、薬がまだ切れてねぇからだ」

ヒトの仕組みはやはり複雑で、そのヒトの複雑さだけが薬に打ち勝つ術だった。
本来死んでいた状態で、傷の癒えないまま再び死を迎える。
その事で、薬は重複した複数の死を消さなければならなくなる。
それが繰り返された結果、薬は死を消す度にヒトの複雑さの前に少しずつ効力を失っていったらしい。

恐らく若は、自分でも知らない内に何度も何度も死んでいたんだ。

そして今、薬はかろうじて若の命を維持しているだけ。
薬が完全に切れたら、その瞬間が死ぬ時だと。

「そんな……」
頭が真っ白になる。
やっと若と、幸せになれるんだと、思っていたのに。
「薬はいつ……切れるんですか?」
「分からねぇってさ。一ヵ月後か一週間後か、明日か一時間後かすら」
「そんなのって……」
俺は全身が震えていくのを感じた。
「で、でも…今の傷が完治するまで薬がもてば……」
「もたなかったら?」
「ッ……」
真っ直ぐに跡部さんは俺を見据える。
「必ず他の方法を見つける。お前だって、見つけてみせるっつっただろ?
 だから今は、もう一度使っておけ」
「…………」
俺はパックに視線を移す。
「本当にこれしか……ないんですよね……」
「ああ」
残酷な程、跡部さんは濁りなく頷いてくれた。
「今すぐ取り替えてこい。それは、お前の役目だ」
「…………」
一つだけ分かった。
だから跡部さんは、若のいる病室じゃなくてここを選んだんだ。
話の途中で若が起きてしまうかもしれないから。
若の前で、若をヒトでなくしてしまう指示をするのが躊躇われたから。
「失礼します……」
パックを握り締めて、俺は会議室を後にした。
迷いなく、足は若の下へ向かっていく。

離れたくない。別れたくない。
もっと一緒にいたいよ。
やっと出会えたのに、『これから』も持てないまま終わってしまうの?
俺たち抱き合ったよね、笑い合えたよね?

ガラリと扉を開くと、若はまだ眠っていた。
「静かだね…若」
入ってすぐに点滴が目に入る。
本当はこのまま、ベッドの向こうにあるイスに座りたい。
さっきと同じ様に手を握って、若を感じていたかった。
「分かってくれるよね…」
若だって俺と生きる事を選んでくれた。
俺が必ず守るから、必ず若を幸せにしてみせるから。
「だから…俺は間違ってないよね……」
答えを待たずに、俺は若に繋がっている点滴の栓に手を伸ばす。
手は酷く震えて、上手く動かなかった。
栓に触れるだけでも、手が中々前へ進まなくて難しい。
「何でだよ…迷う事ないじゃないか……」
若は薬が切れかかってる事を知らない。
今度こそバレなければ、それで良いんだ。
なのに、どうして、
「頼むから…言う事聞けよ…!」
時間が無いのに、時間ばかりロスしていく。
「若と……離れたくない!」
パシッっと、漸く俺は栓を掴めた。
「これで…良いんだ。これで良い……」
速まる動悸に言い聞かせて、俺は深く息を吸う。
栓を捻り、パックを取り替えてから再び栓を開くだけ。何の事はない。
俺は栓に触れた手に力を込めた。
その時、
「ちょう…た、ろう……」
「!」
若がゆっくりと顔を動かす。
俺は栓から手を引いた。
「長太郎……」
「若……起きたんだ」
若は視線だけで周囲を見回した後、正面を向いて天井を見上げた。
「俺は…また死ねなかったのか……」
「若は…死にたいの?」
「いいや。だが…」
若が俺を見る。
「生きる事と生かされる事は違うだろ…?」
「え…?」
「お前と離れていて…そう気づいた」
俺はじっと、若の瞳を見ていた。
「お前と離れてからの俺は……生きてはいなかった。
 短かったけれどお前と過ごした時間が、最も幸せだった……」
「俺だってそうだよ…。それに、これからだってずっと一緒でしょ…?」
「『ずっと』じゃなくても良い…」
互いの瞳には、互いしか映らない。
「お前が傍にいて笑ってくれるなら……時間など関係無い……」
「若……」
「それが一瞬の出来事でも、俺は幸せなんだ……」
我慢なんてまるで無意味に、あまりにも自然に涙一筋が零れた。
漸く気づいた。
「また泣いているのか…お前……」
「若…俺……やっぱりまだ分かってなかった」
「ん…?」
無理して笑う辛さを知っていたのに。
時間の長さに幸せが比例するとは限らないのに。
「俺…どれだけ長く一緒にいるかしか、考えてなかった」

俺はパックを振り上げて、力いっぱい床へ叩き付けた。
足で一気に踏みつけると、

バシャァアァァッ!

中の液体が全て床に飛び散った。
顔を涙で濡らしたまま若を見て、俺は笑った。
「ゴメン。俺、若を殺すよ」
「そうか…」
若も俺へ、微笑み返す。
「聞かないの、理由?」
「お前だからな」
「そう…」

俺は泣いてばかりの頼りない恋人だけど、

「若……一緒に生きよう。俺と二人だけで、生きようよ」
「その為に…俺を迎えに来たんじゃなかったのか?」
「そうだね…。俺、若を連れ去る王子様になるよ」
「バカ…」
若は笑って、自分で点滴を外した。
体を動かすのはまだ辛いはずなのに、ずっと俺を見て笑ってくれた。
「連れて行けよ…。お前と一緒なら、何処だって良い……」
「うん」
涙声で頷いて、俺は若を抱き上げた。
若を繋いでいた器具全てが、若の体から離れていく。
「行こう」
「ああ」
若の腕は、しっかりと俺の首に回されていた。

俺たちはやっと二人で、前へ踏み出せたんだ。

−−−−−

「アイツら……」
誰もいない病室で、一人彼は呟く。
ゆらゆらと、風に吹かれて点滴チューブが揺れる。
床を濡らす液体は未だ乾ききらず水面に彼を映し出す。
ベッドの傍らには、一枚の古びた写真だけが残されていた。
「ったく、バカはいくつになっても治んねぇよな」
彼は穏やかに、微笑んだ。


[ 第4話第6話 ]