「KISS OF LIFE」

 夜。涼しい風が、穏やかに吹き付ける。
 廃墟の屋上で1人、月明かりに照らされながら、過去を思う。
「ウボォー…」
 葬いを終えた仲間の名を、シャルは静かに呟く。
「オレは覚えてるよ。あの夜も、こんな満月だった」
 笑う。
「最後に教えてよ…。オレは今…生きてるの……?」
 目を閉じて思い出す。
 9月にしては冷たい風に、己の身を委ねながら………。

−−−−−

 夜。満ちた月の光を浴びながら、ウボォーはそろそろ身体を休めようとしていた。
 ピピピピピピピ…♪
 静かな空間に、携帯の呼び出し音が響いていく。
 取り出した携帯の液晶には、シャルナークの名が表示されていた。
「…もしもし?」
 嫌な予感がする。
 そう思いながら、ウボォーは携帯に出る。
「…………」
 帰ってこない返事。
「シャル?」
「……オレ………」
 今ウボォーがいる場でさえ、耳を澄まさなければ聞きとれないほどの、微かな声。
「死ぬかも……………」
 どこか笑みを含んだ、そんな声。
 ウボォーはすぐに、事態を察知した。
「分かったから、おとなしくしてろよ!!」
 携帯を切ると、ウボォーはすぐに走り出す。
 そして慣れないながらも素早く、携帯の番号を押していく。
「よぉ、オレだ。ワリィがまた頼む」
 携帯の奥で、相手の建前の呆れ声が聞こえた。

−−−

「シャル!」
 戸を開けて、中に入る。鍵はあけられたままだった。
 部屋の中は暗闇に支配されていて、窓から入る月明かりだけが、唯一の光源。
「シャル……」
 ベランダに通じる窓にもたれて、シャルは月の光を全身に浴びて座っていた。
 その手首、その床を、自らの血で緋色に染めながら。
「やぁ……早かったね………」
 絶え絶えの声で、シャルは妖しく笑いかける。
「お前……」
 舌打ちしながら近づいてウボォーは己のシャツを切り裂く。
 それでシャルの腕を縛り、止血してやる。
「いいかげんにしろよ」
「…………何…が……?」
「喋んねぇでいいから、ただ聞いてろ」
「ん……」
 笑みを浮かべながらも、シャルの表情には苦痛が刻まれていた。
「これで何回目だと思ってんだよ」
「忘れた……」
「だから答えねぇでいいって!」
 ウボォーは少しイラだっていた。血が思ったよりも止まらない。
「ったく。勝手に手首切って、連絡つくまで手当たり次第に電話かけて呼び出して」
 命に別状はないだろう。本気で死ぬつもりでない事は最初から分かっている。
 本気なら、わざわざ呼び出したりしない。手首を切るなんて、確実性のない事はしない。
「その内誰も、来なくなるぞ」
 それでも自分は、いや、連絡を受けた者は来てしまうだろう。大切な手足の為に。
「シャルッ!!」
 暗闇の中、もう1人駆け込んでくる。
「ここだ、マチ」
「ああ。早速やるよ、傷見せて」
 マチは素早く針を構えると、念糸で止血し、傷口を縫い合わせていく。
 先ほどウボォーが連絡を取った相手は、マチだった。この事態が分かっていたから。
「はい、終わり。これで大丈夫だ」
「すまねぇな、急に呼び出して」
「いや、いいさ。アンタから電話かかってきた時、何となくそんな気してたし。
 それに、いつもの事だ」
 緋に染まるシャル。
「ゴメンネ、いつも……。フフ。でもさ…キレイじゃない?月に照らされた血って…」
 気だるそうに、それでもシャルは妖しく笑う。
「謝るくらいならこんな事するなって、いつも言ってるだろ。
 アタシだって、暇じゃない。万が一って事があるんだから」
 言葉と裏腹に、その口調は優しい。シャルの行動を、哀しんでいる様にも聞こえる。

 一種の発作。シャルは、前にそう説明した。
 死にたい訳ではないのに、ふとした衝撃で目の前に刃があると、無意識に体が動く。
 分からなくなると言う。自分の血が、赤いのか。
 それが真の原因かどうかは、シャル自身分からないらしいが。

 白すぎる顔色。青ざめた顔色。
「大丈夫か?シャル」
「ねむい……」
 不安定な身体。触れただけで、倒れてしまいそうなほど。
「ったく、しばらくは安静にしてろよ。そんな状態じゃ、まともに仕事出来ねぇだろ」
「本当だよ。まさか仕事の前日にやるとは、思ってなかった」
「え…?」
 休息を求める身体を無視して、シャルは身体を起こす。
「明日……?」
 驚きと悲しさに満ちた声で、シャルが確認する。
「ああ。明日、暇なヤツは来いって団長が」
「嘘だ…」
 ウボォーの言葉を、祈る様に否定する。
 トゥルルルルル…♪
 電話が鳴る。その音に、シャルは立ち上がる。
「おい!無理すんなって。血が少ねぇんだから」
 シャルの行動が理解出来ないと、ウボォーはシャルを支える。
「離して!!電話出ないと!!団長かもしれないのに!!!!」
 今にも泣き出しそうな声で、必死に受話器へ手を伸ばす。
 トゥ……ッ。
 再び室内が、静寂に包まれる。けれど、シャルは鳴らない受話器を手に取る。
「もしもし?団長?もしもし!?」
 応えのない、一方的な呼びかけ。
「オレ、行きます!明日、必ず!何があっても行きますから!!!!」
「落ち着いて!今の電話は団長じゃない。ただの間違いだ」
 液晶は、見知らぬ名前と番号を映し出していた。
「どうして…ッ?どうして何も言ってくれないんですか!!!?団、…ちょ……ぅ…」
 そこで、シャルの意識は途絶えた。

−−−−−

 翌日。シャルの姿はアジトにあった。
 壁にもたれ、今にも消え入りそうな意識を必死で保つ。
「シャル?どうしたんだ?今日はいつもと服違うのな」
 何も知らないフィンクスが、シャルに笑いかける。
 もちろん彼もシャルの『発作』の事は知っているが、
まさかその翌日に仕事に来るとは想像もつかなかったのだ。
「うん…。ちょっとね、イメチェン……」
「ふ〜ん。にしても顔色悪いぞ。大丈夫か?」
「うん…。きっと…寝不足だからだよ……。仕事には、何の支障もないから……」
 隠された手首。知られれば、仕事が出来ない。
「大丈夫、オレはやれるから……」
 自身に言い聞かせる様に、シャルはかすかに微笑んだ。

−−−

「これで全部です。前回の仕事の取り分は、
 明日までには参加した団員全員に各々が希望した形で届くでしょう」
 ファイル片手にシャルはクロロへ告げる。
 本を目で追うクロロに、憂いを含んだ視線を送りながら。
「そうか…」
 そっけない返事。
 本を閉じ、クロロが立ち上がる。顔を上げたクロロの瞳をシャルが追う。
「!」
「ご苦労だったな、みんな。今夜はこれで解散しよう」
 かわされるシャルの視線。恐らくそこに、クロロの意図などなかっただろうが。
「団長…」
 振り向くシャル。その瞳に、何も伝わってこない、背中が映る。

 バタン。

 その音は、シャルを絶望に誘うのには十分すぎていた。

−−−−−

 シャルの部屋。
 その部屋は、昨夜と同じ様に、月明かりと静寂だけが存在を訴えていた。
「ウボォー」
 イスの上、ひざを抱いて座るシャルが、口を開く。
 顔を伏し、額をヒザに付けている様な格好の為、その表情までは読み取れない。
「何だよ?」
 ベランダに通じる窓際に、ウボォーは佇んでいる。
「ゴメン。オレ、お前を利用してる…」
 独りは、寂しい。独りでは、いたくなかった。
「それで?」
「……責めないの?」
「何を今更。オレたちの関係は相互応酬的なもんだろ。
 お前はサブリーダーとしてよくやってるし、それ以外でも色々オレたちを助けてくれる。
 だから、アイツらも今まで来たろ?散々文句言うくせに」
 静かな口調。仲間にだけ見せる、彼の優しさ。
「けど、あの人は来てくれない…」
「ん?」
「あのさ…、オレって…クモに要らない?」
 切なさだけを込めて、シャルが聞いた。
「嫌われて…ない、かな?団長に……」
「はぁ?ンなバカな事、ある訳ねぇだろ?」
「今日…団長、1度もオレと目を合わせてくれなかった…」
 ずっと見ていた。だから感じる。
 まるで意識しているかの様に、重ねられる事のない視線。
「昨日だって、ウボォーたちに聞くまで知らなかったからさ……仕事の事」
 苦しい。だが自らの弱味を露呈してでも、聞きたいこと。
「どうかな…?」
「バカかお前」
 短く、率直にウボォーは答えた。
「いつも全団員に連絡がある訳じゃねぇ事くらい、知ってんだろ。
 今回はたまたま連絡が無かっただけで、お前はクモとして要らねぇとか、そんな事ある訳……」
「前回もなかったよ…」
 さえぎって、シャルは続ける。
「後で仕事があった事を聞いて、その後の事務を命令されただけ。
 それも、パクから間接的に」
 シャルには、最後にクロロから名を呼ばれた時が、もう何年も前の様に思えてしまっていた。
「仕方なく…オレをクモにしてるのかな…って」
 不安。些細な事1つ1つが、大きな疑惑と不安を生む。
「お前さぁ、団長がンな事出来る人間だって思ってんのか?
 本気で嫌いなヤツをわざわざ手足として、しかもサブリーダーとして使う事なんて出来る、
 器用な人間だと思うか?」
「だけど、最近…最近……オレ……」
「嫌われてるって?団長から?」
 シャルは答えない。問うならまだしも、問われて『そうかも』とは答えたくない。
 本当に、そうなってしまいそうだから。
「オレもお前や団長の事見てたけどよ、そんな様子どこにもなかったぜ。
 団長が特別お前を避けてるとか、嫌ってるとか。
 ……信用出来ねぇんなら、マチにも聞けよ。アイツもお前見てたから。
 お前が、ずっと団長見てんの見てたからな」
「本当に……そう思う?」
「頭が手足に気なんか使うかよ。気に食わねぇなら、さっさと新しいのと付け替える」
「そうかな…………?」
 自信が無い。どこにも。どこを探しても。
「お前さぁ、何か勘違いしてねぇか?」
「勘違い……?」
「お前を嫌ってんのは、団長じゃなくてお前自身だって事」
 シャルの表情が、一瞬動く。意外な言葉に。
「あるだろ。自分が嫌ってる奴がいて、向こうも自分の事を嫌ってる。
 だから嫌いだって思う事。でも実は、向こうは自分の事何とも思ってねぇってのが」
「オレが団長を嫌ってるって事…?」
「違う。さっき言ったろ。お前を嫌ってんのはお前自身。お前が、自分の事嫌いだから、
周りが……団長がお前の事嫌ってるって思い込んじまってんだよ」
 窓越しに見る街は静かな光を伴って、昼間の喧騒をどこにも感じさせない。
「そうなのかな……?」
「そーだよ」
 相変わらず、シャルは顔を上げない。
「そっか…。だからか……」
 嘲笑する様に、シャルはつぶやく。
「ねぇ、ウボォー」
「ん?」
「オレね…、きっと『死』が知りたいんだと思う」
「はぁ?そんなの、何度も近くで見てるだろ」
「知識としてじゃなく、感じたいんだ。『死』を、確かな存在として知りたいんだ」
 闇を知る者は、同時に光を知る者。
 闇を闇として認識し、それを実感出来た者は、同時に光を認識し、それを実感出来る者。
 光を知らなければ、それが闇とさえ分からないからだ。

 だから『死』が知りたい。
 そうすれば、『生』がわかる。
 けれど『生』を実感しなければ、『死』は理解出来ない。
 だから『死』が知りたい。

 そんな永遠の迷宮を、ずっと、無意識下で彷徨っていたのではないか。
「その為の…『発作』だったのかも……」
 死ぬかもしれない状況に身を置く事で、ムリヤリ理解しようとしていた。
「…………」
 ふぅ…。シャルを見ながら、ウボォーは深くため息をついた。
「本当にバカな、お前って」
「え…?」
「確かに頭いいぜ、お前は。何でも広く深く知ってて、頭の回転だって速い。
 応用もきく。文句なしにクモ1の知識の持ち主」
 けどな、とウボォーは続ける。
「それでもバカだよ、お前は」
 きっぱりと、迷う事無く真っ直ぐ言い切る。

 高い知識を誇るが故に、全てを頭で割り切ろうとする。
 どんな些細な事でさえ様々に分節し、数々の事象に照らし合わせ、
より複雑にパターン化してしまう。
 投げ入れられた小さな石が、水面に波紋を広げていく様に。

「ンな難しい事考えてるヒマあったら、どう楽しく生きるか考えろよ。
 どうせいつかは死ぬんだぜ。そん時嫌でも分かんだからいいだろ」
 確かな信念に、基づいた言の葉。
 ただ一途に、決して揺らぐ事のない強さ。
「せめて自分の事ぐれぇ、嫌わずにいてやれよ」
 どうせ誰も、独りなのだから。
「少なくともオレたちは、お前の事嫌ってねぇから。それだけ知ってろ」
「…………」
 その時、より一層強く穏やかに、月光が部屋を抱いた気がした。
「優しいね…。ホント、優しいね…………」
「優しいヤツが、人殺んの好きな訳ねぇだろ」
 照れ隠しなのか、ウボォーは目線をシャルから月へと移す。
「ううん…。優しいよ……」
 シャルの口調は、まだ己への嘲笑に近い。
 ウボォーは、シャルの下へと足を進めていく。
「わかったからもう、自分切り刻むなよ。
 そんな事続けてると、いつか本当に団長に嫌われるぞ」
 ぽん。
 軽く、シャルの頭に手を乗せる。
 何気ない、軽い冗談に近いいさめのつもりだった。
 けれどソレは、残酷なほど穏やかに、シャルの心を締めつける。
「……帰るの…?」
 玄関へと向かう足を、引き止める。
「ああ。今は1人でも大丈夫だろ。っつーか、1人がいいだろ?」
 いつまでも顔を上げない理由が、わかったから。
「帰るって言っても、近くのホテルだから…何かあったら呼べよ。
 マチも今夜は、ソコ泊まるって先に行ってるしな」
 感謝してやれよ、とウボォーは笑った。そして、再び足を進めていく。
「……………ウソだよ」
「あ?」
 シャルはつぶやく。
「『死』が知りたいなんてウソだ。もっともらしい、言い訳だよ」
 いつか本当に、団長に嫌われる。
 ウボォーの言葉に、シャルは気づいた。それは自分にさえついていた、虚しいウソ。
「オレが知りたいのは、そんなものじゃない」
 シャルは、涙に濡れる顔を上げた。

「オレが死んだら、あの人は泣いてくれるかな?」


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