幸せに生きたい
 幸せに逝きたい

 だから 今


「若……」
縋る様な、そんな情けない声で俺は呼ぶ。

行かないで。

そう言いたいのに。口からは出ない。
「わかぁ……」
2m先の背中が、凄く遠い。
「…………」
ふわ…と若の髪が揺れる。
漸く振り向いてくれた表情は、俺には見えない。
望んでいたのは俺なのに、顔を下へ向けてしまった。
涙が、我慢していた涙が止め処なく溢れてくる。
「…っ、ぅっ……っく、……っ……」
若は今、どんな表情で俺を見てるんだろう。
「ご、ごめ……」
「……」
「!」
温かい手が、俺の涙を拭ってくれる。
俺の顔を包む様に、そっと優しく。
「若……」
「…………」
若は口を閉ざしたままだ。
だけどその表情は凄く優しくて、凄く悲しくて。

『さよなら』

「若っ!!」
抱き留めようと腕を回しても、虚しくそれは空を切って。
「若……?」

若…?
何処に…何処に行ったの……?

「若ぁ――――ッ!!!!」

ただ当てもなく、勘を頼りに街を走り回るしか俺には出来なかった。
うろたえる俺は、どうしようもなく情けなくて、何も見えていなかった。

本当は、本当は若が…―――――

   「ふたつ星 〜expression of happiness〜

何も変わらない日常。いつもと同じ光景。
平凡だけど平凡じゃなくて、幸せな日々。
何も代わらない日常。同じで違う、そんな光景。
俺と若も、きっとこのまま時を過ごしていくんだって、何の疑問もそこには無かった。

「若ー」
「遅かったな」
「ごめんごめん。ちょっとさ、途中で頼まれ物しちゃって」
若へ駆け寄りながら苦笑する。
「別に責めてはいないだろ。ただ……遅いと思っただけだ」
「そう?なら、そういう事にしとく」
若はちょっと複雑な表情をして、顔をふいと背けた。
少し、顔が赤くなってたかもしれない。
俺とのデート、そんなに楽しみだった?……なんて、ね。
「じゃあ行こうか、若」
「…ああ」
先に歩き出た俺を追いかけて、俺の隣に若が並んでくる。

この緩やかな瞬間が、大好きだった。

賑やかな街の中を二人で歩く。
きっと周囲からは仲の良い親友同士なんだろうけど、俺たちにとっては恋人同士のデート。
「あ、若。あれ美味しそう!」
「どれだ?」
「あの大きいパフェ。あの『恋人にオススメ!』って書い」
「食わないからな」
「えー?」
わざとオーバーに不満を表現すると、すぐに若もムッとした表情を見せてくれる。
「俺、若とパフェ食べたいのに〜」
「時と場所を考えろ」
「誰もいなくて二人っきりな密室、だったら良いの?」
「在り得ないだろ……喫茶店でそれは……」
若は頭痛でも催した顔で呆れていた。けれど俺も食い下がる。
若との、こんなやり取りも大好きだから。
「じゃあ俺の家で、とか。あれよりもっと美味しくて凄いの作らせるよ?」
「だったらココで食う必要ないんじゃないか?まぁ、作られても俺は食わないが」
「うぅ…」
「…ったく」
クス、と若が柔らかく表情を綻ばせる。
「本当にバカだな、お前は」
「若……」
「取り皿を用意してくれるなら、食べてやっても良いぞ?」
「それは何か違う…」
「ふん」
俺たちは笑い合って、俺の冗談に若が呆れたり怒ったりするけど、それでも楽しくて幸せで。
「もっと目に見える愛が欲しいなぁ」
「目に見えないからこそ、だろ?」
「じゃあ、目には見えない言葉では?」
「は?…って、おい!」
人を避けて、俺は小さな路地裏に若を引っ張る。
そして若の瞳を真っ直ぐに見て、真剣な顔をして、真剣な気持ちで告げる。
「俺は、日吉 若を愛しています」
「っ…………」
若の顔が、みるみる赤くなっていく。
「どう?」
「…………卑怯だな、お前」
「え?わっ!?」

赤い顔をした若に胸倉を掴まれて、引き寄せられる。
俺の顔のすぐ傍に、若の顔があって。
いや、俺の耳のすぐ傍に、若の口があって。

「     」
「へ?」

囁かれた一言。
今度は、俺が赤面する番だった。
こうして時々、無自覚に俺の心を捕えてくるものだから、俺は逃れようがない。
もちろん逃れる気なんてないけど、どんどん俺は鎖で巻かれていく気がするよ?

「若……」
そっと肩を抱き、頬にキスしようと顔を近づける。と、
「調子に乗るな!真性のバカだな、お前は!」
「あだっ」
思いっきり両肩を押され、俺の背は壁へとダイブ。
若ってばジラしのプロだ…。本気で怒られるから口には出さないけど。
「と、とにかく、早く行くぞ?今日はお前が見たい映画があると言うから…本当……」
「はいはい。分かってるよ」
「『はい』は一回で良い!……はぁ……」
若の呆れはMAXだった。顔も赤いから、照れ隠しもある。
路地裏を先に抜けようとした若の足が、ふと止まる。
「……背中、痛むか?」
「!」
振り向いた若は、俺の自業自得なのに心配そうな顔をしてくれてて。
「全然。今の愛の一言で、全部消えたよ!」
「ふざけるな!」
俺は至って大真面目だけどね、とはやはり飲み込んでおいた。
人の流れに戻る頃には、また俺たちはいつものやり取りを繰り返すんだろう。
笑いあって、今俺がかからかった事とか若が怒った事とか忘れて、同じ様に恋を続けていく。
それでも距離が0ミリなのが俺たちだと信じてるから。

−−−

「もうお別れか。楽しい時間って早いねぇ、若」
「あのなぁ…」
俺たちは自宅への分かれ道に立っていた。
街灯の光が、辺りを照らし出している。
そこに、人の影は二人分の一つしかない。
「若…」
肩を抱く。今度は若は、抵抗しなかった。
というのも別れ際はいつにも増して俺がごねるので、若も諦めてしまったらしい。俺の押し勝ち。
そっと若の額に口唇を寄せて、永遠にも思える一瞬のキスを落とす。
口唇が離れると視線と顔を逸らす若のクセは、今日も変わらない。

「それじゃ、また明日」
「…ああ、またな」
くっついていた影が、二つに離れる。
「大好きだよ、若!」
「う、うるさい!大声で言うな!」
「うん、じゃあね!」
若の背に、思い切り手を振って俺は自分の帰路についた。
若の姿が視界から消える直前、若も微笑んで、手を肩の高さ程上げてくれたのが目に映った。
「へへっ」

世界の幸せを独り占めしている様な、そんな気さえしていた。

−−−

「本当に恥ずかしい奴だな、アイツは…」
帰路を、若は恋人との時間を思い返しながら辿っていた。
その顔は赤く、述べられた言葉の裏には呆れ以外が在った。
「どうしてああ、自制が無いんだ?」
不満でない不満を漏らす姿は、どう見ても照れ隠し。
人のある大通りへ出ても呟きは止まらない。
「どうして俺は、あんなマイペースと過ごすのが好きなんだ?」
恋人の前では決して言えない類の言葉さえ、デート後の帰路だとすんなり口から出せた。
答えは、結局いつも同じ。

『俺は、日吉 若を愛しています』
恋人の笑顔が、いつも同じ答えを導いてくれる。

「……そうだな。俺も……、?」
言いかけて、若は道路へと投げ出された玩具に気づく。
直後にそれを追いかけ、幼児が公園から飛び出てくる。
「待て、止まれ!危な…、ッ!」
視界の奥、迫り来る車を若は確認した。
そこから若は無意識だった。
駆け出して、大きく腕を伸ばして。

キ、キィイィィィィ…ッ!!!!

『俺も、長太郎を想って…――――』

――あの瞬間、運命が狂ってしまうまでは。

−−−−−−

♪〜♪♪〜
「あ、もしもし。鳳です」
鳴ったケータイを取り、挨拶をする。
液晶には部長である『跡部景吾』の名が映し出されていた。
「え?……な、何の冗談を……」
『血の気が引く』とはこういう事だと、俺は身をもって体感した。
「う、嘘だ、そんなの!そんな……そんな!」
相手が先輩だという事も忘れて、俺は動揺を叫んだ。
落としそうになったケータイを握り締め、俺は走った。
信じたくなくても、例えこれが祈りの通り嘘であっても、向かわずにはいられなかった。
(若…――――ッ!)

向かう先は、総合病院。
事故に遭った若が搬入された、この一帯じゃ最も大きく有名な病院だった。
「鳳」
「跡部先輩…っ、若は、若は!?」
教えられた病室の前、立っていた先輩に掴みかかる。
「先輩…!」
「……」
「!」
跡部さんはただ視線で俺に答えた。
「若…!」
俺は急いで、その示された方を向く。
「若…」
大きなガラスの向こう、若はいた。
体中を包帯とチューブが取り巻いていて、とても痛々しい姿で若は眠っていた。
いったいどれだけの怪我をしたの?
こんな光景、テレビでしか見た事ないよ?
「何で…?」
ガラスに張り付いて、若を見る。
走った息苦しささえ、感じなくなっていく。
さっきまで、俺と一緒にいたのに。笑っていてくれたのに。
「子供を庇ったんだよ」
「え…?」
「ソイツらしいよな。轢かれかけた子供とっさに庇って、その様だとよ」
向かい側の壁に背を預けて、跡部さんは説明してくれた。
その表情は何処か寂しそうだったけど、俺に気づける余裕なんてない。
「そんな…」
「他の奴等も直に来るだろ。アイツの家族は…今医者と会ってる」
「そう…ですか……」
感情の無い返事を返す。
そんな事はどうでも良かった。
ただ、俺には若が大事だった。
「若…」

離れなければ良かった。
ずっと一緒にいて、送ってあげれば良かった。
そうすれば、せめて身代わりにはなれたのに。

「若……」
コツン、と額をぶつける。
中に入りたいけど、それが無理だと分かる位には冷静だった。
きっと入ったら若の体を揺さぶって、縋りつく自分が予想できてたから。
「なぁ、鳳」
「…はい」
「特別に、入れてやろうか?」
「え…?」
「部屋ン中。日吉に、二人っきりで伝えてぇ事とかあるだろ?」
「それって……」
どういう意味か、さっぱり分からなかった。
「何で、そんな事…。何で先輩がそんな……」
そんな言い方、まるで…。
戸惑う俺の前で、跡部さんは口唇を噛んだ。
ここまで辛そうな先輩の表情を見るのは、この時が初めてだったかもしれない。
「日吉は、もう…」
「止めて下さい!」
俺は思わず叫んでいた。
聞きたくないと、耳を強く押さえて。
「聞けよ」
「嫌です!」
「お前が聞かねぇでどうするんだよ!?」
「ぁっ…!」
手首をグイと引っ張られ、俺の手が耳から離れる。
「嫌だ……っ」
どれほど首を振っても、跡部さんは許してくれなかった。
その口が、その時の俺には何より残酷に開かれる。
「もう日吉は、助からない」
「――――!」

心臓が、凍りつく。

「嘘だ…。嘘だ、嘘だ!」
全身から温度が引いていく。
肩を掴んで、俺は縋った。
「嘘だって言って下さい!お願いします!!」
「鳳…」
「俺、何でもします!何だってします!だから、だからお願いです!!嘘だって言って下さい!!!!」
涙が溢れてくる。
世界がもう、何も見えなくなっていく。
「嘘じゃねぇよ…。何時までもつかは分かんねぇが……確実に日吉は、死ぬ」
「嘘だ…」
何もかも、この現実さえもぼやけて無くなってしまえば良い。
心からそう願った。
「何で……」
全身から力が抜ける。立っていられない。気が狂いそうだ。
俺の膝は、間を置かず床へと崩れた。
「俺がどんだけ『跡部』の力使ったって、数時間の延命が限界なんだよ。
 俺だって、好きでこんなふざけた現実受け入れた訳じゃねぇ…!」
「…………」
俺には、跡部さんの言葉なんてもう届いてなかった。
だから跡部さんの声が少し震えていたなんて、余計気づけるはずがない。

俺はただ、この『現実』を否定しようと必死だった。
どうやったら否定できるのか。受け入れずに済むのか。
俺は、そんな事をただひたすら、必死に考えていた。

バカみたいですか?

最高の医療を受けて尚、助からないと判断された『現実』を否定しようなんて。
何て愚かで馬鹿馬鹿しいんだと、そう、思いますか?

でも、俺は思えなかったから。
思えなかったから、考えたんです。
『現実』を否定しようと。不可能を可能に変えようと。

「…そうだ…」
俯いていた、涙でグチャグチャにしていた顔を上げて、俺は呟く。
何かに憑り付かれた様に立ち上がり、再び若をガラス越しに見る。
「若…」

離れたくない。別れたくない。
もっと一緒にいたいよ。
だって俺たち、まだ何もしてないよ。
まだまだこれからだって、そう笑い合ったよね?

『長太郎』

「わか……」
待ってて。
俺は心で声をかけて、
「鳳ッ!?」
その場から走り去った。
ケータイが使える場所まで行かなくては。
少なくとも、俺が一人になれる場所までは行かないと。
(死なせない…!)

絶対に死なせるもんか。
若は、若だけは、絶対に死なせたりなんかしない。
可能性があるなら、それがどんな可能性であっても構わない。

まだ若と一緒にいたいんだ…―――――!!!!

−−−

「ちょっと…来てくれない?」
病院の影で俺はケータイを通じ、命じていた。
「…そう、そうだよ。アレを『ヒト』に使う」
ケータイの奥で躊躇いが聞こえる。
「俺が使うって言ってるんだよ。分かんない?………ああ、後始末はちゃんとするよ。
 そっちだってヒトに使いたかったんだろ?都合良いじゃないか」
本当は凄く焦っているはずなのに俺の声はとても冷たく、温度が無い。
「失敗しても問題は無い。どの道……助からないそうだから」
震えそうになる声を、体を、動揺と恐怖で砕けそうになる心を抑えて、告げる。
「ああ。成功すれば良いデータが取れるだろ?退院までなら手を回して…何人か担当スタッフにしてあげる。
 ……大丈夫。そっちが来るまでには持って来させる。俺の物を使うんだから、正確な出元は分かんないよ」
ああ、じれったい。こっちは一秒でも時間が惜しいっていうのに。
何の為に、大切な若を検体扱いまでして言ってると思うんだよ!?
「いいから早くしろ!それとも俺を…『鳳』を敵に回したい!?」

ピ…ッ♪

相手の承諾を待たず、俺は電話を切った。承諾は分かりきっていたし。
次は家に電話して、持って来させないと。
「若……お願いだから、もう少しだけ頑張って……」
壁にもたれたまま、地面へ滑り落ちる。背中が少し…擦れた。
やっぱり涙が止まらない。
「……もしもし、俺」

これしかないんだ。後悔なんてしない。

君がいないと生きていけない。
君がいたから生きていられた。
また若が笑ってくれるなら、俺は、

「俺は間違ってない……」

数時間後、若は『奇跡的』に一命を取り留めた。

−−−−−

「良かった……」
幾分か顔色の良くなった若をガラス越しに見つめながら、俺は安堵していた。
病室の前にいるのは、今は俺だけだ。
もう明け方が近く、そして若の容態が安定した為、先輩方は随分前に帰宅した。
若の家族も安堵から別室で休んでいる。
若と二人になりたくて、俺がそう勧めたんだけどさ。
「少しの我慢だからね、若。退院までだから」
きっと退院後も若のデータを取り続けようとするだろうが、そんな事は俺がさせない。
「本当に良かった…効いてくれて……」
「何がだ?」
「!」
突然の声に、心臓が跳ねた。
「漸くお前一人になったな」
「跡部先輩……」
声の主は、既に帰宅したと思っていた跡部さんだった。
「何の…用ですか?」
「分かってんじゃねぇのか、何の用かは?」
「…………」
跡部さんの目は、俺の動揺一つ見逃さないと、そう語っていた。
俺のすぐ正面に立って、跡部さんが口を開く。
「日吉に何を使った?」
「……質問の意味が分からないと、言ったら?」
「紛れ込んだ虫に聞くまでだ。お前よりは、俺を選ぶと思うぜ?」
「…でしょうね」
初めから分かっていた。
この人を騙す事など出来ない。
そりゃそーだ。だって若の担当スタッフは、跡部さんが手配してくれたんだから。
けど、もう止め様が無い。
いくら跡部さんでも、時間を戻す事なんて出来ないんだから。
「誰にも漏らさないと誓って頂けますか?でなければ関係者全員を消してでも、貴方には何も知らせません」
これは脅しでも何でもない。若の為なら俺はどれほど汚れても構わない。
「良いぜ、約束してやるよ」
「有難うございます」
俺の思いを読み違える事なく、跡部さんは同意してくれた。
「ただ全ては話せません。そういう事情は…分かりますよね?」
「…ああ」
跡部さんの視線から目を逸らし、俺は再び若を見つめた。
「とある時期にとある場所で、とある事故が起きました」
切り出すと、続きを告げるのは思ったより簡単だった。
「そこはあらゆる薬品を扱っていた研究施設で、事故の為に多くの薬品が施設内を漂いました。
 様々に混ざり合いながら、爆風に乗って外部へさえ漏れていったかもしれません。
 けれど世間にそれが知られる事は絶対に許されませんでした。
 だから密かに処理をして、また密かに研究を再開する。その予定だったんです」
「ああ」
「数日後、一帯の危険度が低下したと判断した彼らは閉鎖を解除。内部に入りました。
 本来なら内部は荒れ果て、実験動物も全て死んでいるはずだったんです。ところが――」

誰もの予想を裏切って、大半の動物が生存し、動いていた。
確かにどの動物も骨と皮だけの姿だったり、傷を負ったりしていたけれど、
餌も水も、動物達がその日数生きていくだけの量はなかったというのに。
更に彼らを驚かせたのは、体を食い千切られ、致命傷を負った動物でさえ生きていた事。
決して新しくない傷を負い、治療も餌も水も施されない環境で生き延びたという事実。
彼らは徹底的に調査をして、その過程で一つの物質に辿り付いた。
それこそ、『奇跡』の元。
悪夢のカラミティから偶然生み出された『奇跡』の薬。
動物の生死を分けた要因は、その薬を浴びたか浴びていなかったか。
そうして気づいてしまった彼らの手により、後の全ての研究がその薬だけに費やされる事となった。

「偶然その情報を得た俺は興味本位でコンタクトを取って、薬を少しだけ分けて貰ったんです。
 向こうも知られた以上、口止めが必要でしたしね」
「…その薬は?」
「簡単ですよ。死ななくなる薬です」
「何…?」
驚いた声が、跡部さんから発せられた。
当然の反応だ。
「ね?興味そそられるでしょう?」
「作り話にしては…悪趣味だな」
「本当ですよ。じゃないと…説明出来ないと思いませんか、今夜の『奇跡』が。
 それに今更、先輩に嘘をついても意味が無いでしょう?」
「っ……」
「ああ、でも」
自然と俺の視線が下がる。
「『死ねなくなる』薬、の方が正しいかもしれませんね」
跡部さん表情は、俺を窺うそれだった。
「彼らは気づいてしまったんです、それが不死の薬だと。そしてそれ以上も以下でもない事も」
「まさか…」
俺は一つ、頷いた。
「ただ死なないだけです。不老になる訳でも、傷が一瞬で完治する訳でもない。
 ほんの少しだけ治りが早くなるかもしれませんが…それも生物の限度を越える程ではないんです」
「…………」
跡部さんは何も言わず、俺の言葉に耳を傾けていた。
きっと俺の言葉から状況を分析しているんだと思う。
「分かりますか?身を裂かれても、心臓を抉られても生き続けるんです。生き続けられるんです。
 薬の作用で、全身がどの心肺機能をも補えうるんです。そして失った部位を、治癒速度に従って再生していく」
跡部さんの顔は次第に曇っていく。
この人の事だから、もう意味が分かったのかもしれない。
「負った傷の分だけ苦痛を味わい、けれどどれ程の傷や痛みの前にも決して死にはしない。
 寿命さえ薬の前には存在しなくて、体が衰えて骨と皮だけになっても生きるんです。
 動けなくなって何も口に出来なくなっても、ただ生き続けるんです」
「だから、『死ねなくなる』」
俺は顔を上げて、笑った。
「でも一つだけ、死ねる方法はあるんです」
お互い、視界に若を映す状況で言うには残酷な事実。
口火を切ってしまったから、止まらなかった。
「頭と体を、切り離す事です」
跡部さんに、微笑みかけた。
無理に笑いかけた。
「首を落として、頭と胴体を切り離せば死ねます。
 だけどそんな死は誰も望まない。誰が望みますか?
 誰かに看取られながら『首を切り落としてくれ』と頼む――、そんな最期を誰が望むんです?」
無理に口調も、微笑みに合わせる。
「ほら、普通に死ねなくなったでしょう?」
跡部さんはずっと俺を見ていた。
だから俺も、彼の瞳を真っ直ぐ見返した。
「そういう薬ですよ、俺が使ったのは。『奇跡』なんてとんでもない」

若は、そんな薬のヒトとして最初の被験者。
薬がヒトにどんな作用を及ぼすかなんて、簡単な予測しか予想出来ない。
生体構造の複雑なヒトであっても他の動物と同じ効果が期待できるのか、誰にも分からない。
今まで現れなかった効果が若を蝕むかもしれない。
その所為で若は物凄く辛く苦しい目に遭うかもしれない。それでも。

「それでも俺は…若を検体として提供する形になっても……若に生きていて欲しかった……」
「お前…」
跡部さんの声色に苛立ちが篭っていく。
やはり跡部さんには……分からない。
「何したか分かってんのか…?」
「だって使わなきゃ、若は確実に死んでたじゃないですか…」
「だからって、んな勝手が許されるってのか?アイツがそうなってまで生きてぇって言ったのか!?」
「でも貴方、知ってたでしょう!?俺たちが恋人同士だって事、貴方だけは気づいてたんでしょう!!!?」
俺は叫び返していた。
俺たちが恋人同士だと、間違いなく跡部さんだけは気付いていた。
「貴方は何も知らないからそんな事が言えるんだ!貴方は若の恋人じゃないから!
 大切な人が、大好きな人が死ぬと言われて……俺がどれ程の絶望を見たか知らないから!」
分かるはずが無い。
跡部さんの様に本当の強さを持っている人に、俺の気持ちなど分からない。
この人にとって若は、ただの『後輩』だ。
「貴方だって自分の大切な人が死ぬと言われて、
 それを回避出来るかもしれない方法を自分だけが知っているとしたら使うはずです!
 それがどんな結果を招こうと何だってする…!エゴだって分かってたって、見殺しには出来ない…ッ!」
「鳳……」
また泣き出していた俺の目じゃ、跡部さんがどんな表情をしているかは見えなかった。
「良いじゃないですか。俺も若も、沢山想い出が作れるんです。
 沢山生きて、笑い合って、幸せになれるんです。だったらどんな形でも生きていた方が良いでしょう?
 言わなければ誰も分からない。言ったって、不死の体なんて誰も信じない」
「けどそれで日吉は……どうなんだよ?」
俺は、間を置いてから首を振った。
その一言を口にするのは、何となく怖かったんだ。
「でもまだ時間はあるんです。
 いつか薬の効果を、何の問題も無く打ち消す方法が見つかるかもしれない。
 生きてさえいれば、若はいつか『普通』に戻れるかもしれない」
「……信じるんだな、それを」
「信じます。必ず…責任は取ります」
「もし間に合わなかったら?日吉より先に、お前が死ぬかもしれねぇ時は?」

跡部さんの問いが俺を打つ。責める口調ではなく、試す口調。
「その時は…」
「その時は?」
俺は涙を拭い、はっきりと跡部さんの表情を見た。

「俺が、若を殺します」

『分かった』とだけ返して、跡部さんは俺に背を向けた。
約束通り、秘密も守ってくれている。
そればかりか、味方にだってなってくれた。
彼の言葉に、俺の心はどれだけ軽くなっただろう。
きっと心の何処かでは――例え非難されても――誰かに秘密を共有して欲しかったから。

ホント、勝手な話だ。


   1.そして運命はい出す


[ 第2話 ]