俺には好きな人がいる。
俺に絶対に必要な、俺だけの相手がいるんだ。

   「Vanilla」

夕方。
「はぁ〜っ。今日もよく跳んだなぁ〜」
帰路を、岳人はご機嫌に辿っていた。
口内を転がるバニラキャラメルが、益々ご機嫌度を高めてくれる。
その隣には、ダブルスパートナーである忍足の姿もある。
「自分、よぉあんだけ飽きもせず跳べるなぁ」
「だってそれが俺のテニスだしさ」
「まぁ、そう言われるとそうなんやけど」
並び、二人一緒に帰る。
もちろん途中までだが、岳人にはとても楽しい時間だった。
誰より高く跳んでいられる時間と同じか、もしかしたらそれ以上の時間かもしれない。
「良いじゃん。俺、もっともっと高く跳ぶつもりだしさ」
「跳ばんでもテニスは出来るやろ」
「えー。跳ばなきゃ気持ち良くねぇじゃん」
「テニスにそれを求めるのは違うやろ」
忍足はそう言うが、その表情は笑っている。
口では諌めていても、本気ではそう思っていない。
と言うより、いくら言っても効かないので諦めた、というのが本当の所。
「何でダメなんだよ」
「岳人のは無駄な動きが多いからや」
「でもすげーだろ?いつも敵皆アレ見て怯むじゃん」
「他校のヤツは、な」
「ちぇっ。誉めろよ」
「はいはい。よぉ頑張っとるよ」
笑いながら、二人は夕陽が赤く照らす道を歩く。
影を見ると、現実以上に二人の身長差が広がっていた。
もごもごと岳人が口を動かす。
「良いんだよ。俺もっと跳んで、もっと高い所から人見るからさ」
「は?」
「高い所から世界を見たいんだよ。侑士よりもずっと高い所から」
「だからってテニスでやらんでも」
「じゃ、俺とのダブルス嫌だって監督に言えばイーじゃん」
「まさか」
冗談言うなとばかり、忍足が笑う。
「今更そんな気ぃ起こらんわ。今まで堪えてきたんが水の泡になるからな」
「じゃ、もっと応援」
「頑張り、岳人」
「簡単だなー」
「Simple is best.や」
「えー」
顔を見合わせ、二人はまた肩を揺らして笑った。
ダブルスを組んでどれ程になるだろう。
最初は上手くいかず、いつかペアを変えてもらおうとお互い密かに思ったものだ。
「あのさ」
「ん?」
岳人が、真っ直ぐ前を向いて言う。
「俺、背ぇ低いだろ?」
「そやな」
「…即答しなくても良いだろ」
「聞いたのは自分やし」
「…まぁ、そうだけど。でもさ、小さいからって小さい世界しか知らねぇのは嫌なんだよ」
「え?」
「もっと遠くまで見える、もっと広い世界が好きなんだ」
岳人は、忍足を見上げた。
二人の身長差は20cm。200mm。
顔一個分、と表しても良い程の差がそこにはある。
たった数センチ違うだけで、地平線までの距離は数十mと違ってくる。
まして自分と彼ならば、数kmの違いだろう。
時々、入れ替わりたいと思う事もあった。
「だから飛ぶんだよ。色んな世界を俺は見るんだ。
 それでテニスコートの中でだって跳んで、あの長方形の小さな世界を色んな角度から見るんだよ。
 そしたらさ、どんな球だって返せるじゃん」
「岳人…」
両腕を広げ、岳人が笑う。
本当に飛ぶ事が大好きなのだと、彼のプレイを知る者なら誰だって確信できる笑顔だった。
「そうやな…。ま、これっていう一芸があるのも大切やろうしな」
「おう。誰より高く跳ぶパートナーになるからな」
「ついでに、誰より勝てるパートナーにもなって欲しい所やわ」
「侑士、一言多い!」
「一言言わな、岳人調子乗るんやもん」
「乗せたって良いだろ!」
「嫌や。俺の仕事が増える」
「侑士〜!!」
広げた腕が、ジタバタと上下する。
まるで鳥類が羽で暴れているみたいだと、忍足は心で笑った。
その内スカイダイビングも趣味に加わるに違いない。
仲間内で賭けにでもしてみようか。
いや、全員が『加わる』と答えてしまうから、賭けにはならないか。
「ホンマ、前世か来世は鳥で決まりやな」
「ああ、それ良いなぁ。楽しそう」
「でも自分、ここぞと言う時でトロいから、
 ニワトリやペンギンやったりしてな。来世、気ぃ付けや」
「侑士!」
また余計な一言を加えられて、岳人が不満がる。
苛立ちを抑えようと、もう一つキャラメルを口に含む。
「しょうがないやん。岳人見とったら、どうしても何か一言付けたくなるんやもん」
「何でだよ!」
「それだけ好きやっちゅー事ちゃうの?」
「え?」
「一応、今じゃ大事なパートナーやからな。情も移っとるし」
「何だよ『一応』って」
「冗談や。『一応』は撤回するわ。それ以外は、本気って事で」
「ったく」
岳人は、もう笑っていた。
単純に『大事なパートナー』だと言ってもらえて、嬉しかった。
「俺も、侑士の事は大事なパートナーだと思ってるぜ」
「それはおおきに」
「もっと深く真面目に聞けよ」
「ぅわっ」
忍足の足が止まる。
岳人は忍足の目の前に立ち止まり、忍足の両手を握っていた。
首が痛くなるのも構わず瞳を見上げ、岳人は本気の笑顔を見せる。
「俺、侑士がパートナーで良かった。そりゃ、侑士が言う通り…俺のテニスはまだアレだけどさ」
ぐっと、強く手を握る。
「侑士がいるから、俺は安心して跳べるんだ。自分に120%の自信を持てるんだ」
「……」
「侑士がパートナーだから、俺は安心して地上を任せられるんだ」
「……何や、それ」
ふいと忍足が顔を背ける。
しかも上へと背け、岳人には絶対に見えないようにする。
「何だよ、折角真面目に言ったのに!」
「煩い。お子様はまだそういう台詞言わんでええの」
「子供扱いすんなよ!俺の方が誕生日早いんだからな!!」
「誕生日だけは、な」
「もうっ、クソクソ侑士!」
完全に気分を害し、岳人もふんっと忍足に背を向ける。
ドシドシと両肩を上げて歩くその姿からは、不機嫌なのが面白い程伝わってくる。
(子供って率直やなぁ…)
忍足は思い、岳人の後ろを辿って歩く。
例え誕生日が遅かろうと、中身は完全に忍足が上だろう。
しかし時々、その率直さが羨ましくなる事がある。
まだ自分も子供と言えば子供なのだろうが、早熟なのも考えものだと思う時もある。
「岳人」
「……」
「がーくーと」
「わっ!」
後ろから、歩く岳人の背中を掴む。
体が後方へと引かれ、思わず転びかけながらも、忍足の支えでそれは免れた。
「……何だよ、侑士」
振り返り、軽く睨む。
「俺も、岳人がパートナーで良かったで?」
「…本気で言ってんのか?」
「ああ、本気や」
「本気の本気」
「本気を百回付けたってええ位の本気」
優しく笑い、忍足が岳人の頭をぽんぽんと叩く。
「これでも俺、自分の事結構気に入っとるよ」
「…侑士」
「好きやから、安心し」
「…………」
その言葉に、岳人の怒りは完全に収まった。
嬉しい事もあるが、それ以上に少し気がかりになってしまうから。
「なぁ…」
「ん?」
「……何でもない」
「…らしくないやん」
「だって…」
岳人は押し黙る。
どんなに怖い物知らずに突っ走っていても、怖いものはやはりある。
この場合、『結果』が怖い。
「ええから、言い。どんな言葉でもちゃんと聞き入れたるから」
「……でも」
「ほら、岳人」
「……」
言って良いものか、岳人は悩む。
悩むという行為に、岳人は自分でも自分に不似合いな行為だと思う。
そんな岳人を、忍足も心配したらしい。
不安そうに首を傾げる。
「どないしたん、岳人?悩みなら言いや?もうすぐ大会なんやから」
「……そう、だよな」
「ああ。相方のメンタル支えんのも、俺の仕事やから」
「…………冗談とか、思ったりしない?」
「そこまで堕ちとらんわ」
まだ不安は残っていたが、まぁ良いやと、岳人は息を吐いた。
こんな気分のまま負ければ、どの道最悪な結果しかやって来ない。
今失敗しても、大会まで二週間もあるんだから何とかなるだろ。
岳人は前向きに考え直し、忍足へと向き直った。
「じゃあ、言う」
「ああ」
岳人はもう一度、先程感謝を伝えた時と同じ様にしっかり忍足の瞳を見た。
相変わらず瞳が遠い。
いっその事、その眼鏡を外して欲しい位だ。
(って、そんな事今はどーでも良いか)
再び岳人は息を吐く。
そして、口を開いた。
「俺、侑士の事好きなんだ」
「は?」
岳人の言葉に、侑士は面食らった。
悩んでいるかと思えば、何をいきなり。
「そんなん、俺も好きやで」
「違う!」
叫び、岳人は反論する。
「侑士の『好き』とは違う『好き』で好きなんだ!
 俺は、すっげー侑士の事が好きなんだよ!」
「岳人…」
今度、忍足は別の事で驚いた。
今目の前にいる岳人の瞳が、酷く大人びて見えたからだ。
真剣その物で、とても子供のそれをは思えなかった。
「だからさ、侑士にも考えて欲しいんだ!
 俺の事、俺と同じ『好き』で好きになれるかどうか!」
「…………」
忍足は、返事に躊躇った。
どう答えるべきかの、『答え』が見つからないからだ。
受け入れるかと聞かれたら、分からないと答えてしまう。
なら拒絶するのかと聞かれたら、そうはしたくないと答えてしまう。
受け入れも拒絶もしないのかと聞かれたら、それは出来ないと答えてしまう。
どうしたら良いのか、忍足は迷った。
けれど、
「侑士!」
岳人の真剣な瞳に、正直な答えを送る事にした。
「……俺には、まだ分からんわ。初めてやから」
「…じゃあ、答えはまた今度って事かよ?」
「そ…うやな。岳人さえ、時間をくれるなら。
 それに岳人の気持ちだって、もしかしたら勘違いかもしれへんし」
「勘違いじゃねぇけど?」
「……それは…まぁ、分かるけど……いや、分からんし…」
「…侑士、何か矛盾してねぇ?」
「煩い」
「むー」
忍足の動揺が、岳人にも感じられる。
正直に答えてくれたのは嬉しい事だが、やはりまだ子供扱いだ。
きっとこの『好き』も、彼は『憧れ』や『友愛』の勘違いだと思っているに違いない。
この際答えはいつでも良い。
とにかく今この瞬間、自分の想いの本気を信じてもらわなければ。
「侑士、ちょっとちょっと」
「?」
岳人は、忍足を手招きした。
近距離での手招きは、即ち『耳を貸せ』という事。
普段の習性から、忍足は腰を曲げる。
「何?岳人…」
「あのさ」
「ああ。…って、うわっ!」

――――。

二人の時間が止まる。
二人の口唇が、そっと重なっていた。
岳人が、近づいた忍足の顔をぐいと引き寄せたから。
「…………」
「……俺、本気だから」
「っ…」
キスを終えると、岳人は明るく笑った。
「岳…」
「じゃな、侑士っ!」
「ちょお、岳人っ!!」
しかし岳人は、忍足の制止も聞かず走っていった。
距離が開き、影さえやがて消えていく。
「……何やねん、アイツ」
驚きの中で、呆然と忍足は岳人の行った先を見つめ続けた。
その顔は、夕陽に負けない程真っ赤に染まっていた。
「…………はぁ」
深く、息を吐く。
「アホ岳人」
忍足は一度己の口唇に触れると、ゆっくりと帰っていった。

一方、岳人は今までにない位の身軽さを感じ、走っていた。
好きな人のキス。
もうそれだけで頭はいっぱいだった。
ドキドキして、もうそれしか考えられない。
明日どんな顔をして会うか。
明日からどうなってしまうのか。
そんな不安さえ、今はない。
きっと明日もこの気持ちのまま、忍足に今までと違う『好き』を叫ぶ事だろう。

「侑士…」

思い出すのは、最後に見えた彼の顔。
初めて見た赤い顔。
本当に、自分は彼に恋しているのだと一層の確信を得る事が出来た。
走りながら、岳人は己の口唇に触れた。
甘い味が、柔らかい感触と共に記憶に刻み込まれていく。

「へへっ」

よく『ファーストキスはレモンの味』と言うけれど、
今彼と交わしたファーストキスは、

甘い甘いバニラの味。

END


・後書き(6月15日)
 岳忍…?ですが、頑張ってみました。
初めて書いた訳ですが、やはり岳忍は難しいですね…。
おかげで岳忍というか岳&忍になってしまいました。スミマセン;
本当に、最後のキスがなきゃ『&』だという、情けない話です(へにょ)。
 ですが少しでも楽しんで頂けたらと、その思いはいっぱいです。

 題「Vanilla」は、Gacktからです。岳忍を書くに至り、
「どうしてもGacktの曲から付けたい!」と思い、必死で探しました(ヲイ)。
跡付けくさい「バニラキャラメル」ですが、そんな訳でご理解頂けたらと思います(苦笑)。
少しだけ、漫才コンビの様な岳忍が楽しかったです。ではでは。