(むー……)
自室。ベッドを背もたれに、リョーマはむくれていた。
本来ならば、機嫌は絶好調でなければならないはずなのに。
(…………)
彼がミニテーブルを跳び越えて睨みつける先には、一人と一匹。
「こら、くすぐったいだろう。ハハッ、だ、ダメだ、そこは…っ!
 ほら…っ、ちゃんと撫でてやるから…少し大人しくしてくれ」
「ほあら〜」
「ああ、良い子だな、お前は」
(にゃろう…)
毛むくじゃらな猫を縦に抱きかかえ、優しい表情でそっと喉を撫でている人物は、
リョーマの嫉妬染みた視線に気が付く事もなく、猫と戯れている。
「ちょっと日吉さん、いつまでカルピンに構いっぱなしなんすか?」

   
「All My Loving」

「いつまでと言われても…カルピンが俺から離れないのだから、仕方ないだろう?」
「それはそうっすけど……日吉さんは俺と付き合ってるんであって、
 カルピンと付き合ってる訳じゃないじゃないっすか」
日吉はリョーマの率直な言葉に、僅かに顔を染めた。
どうも関係を突きつけられるのが、今だに日吉は苦手らしい。
「だがお前も喜んでいたじゃないか。俺がカルピンと仲良くしてくれて嬉しいと」
「けど俺を放ってまで、とは言ってないっすよ」
確かに当初は『ペットが飼い主に似るって本当なんすね』『?』『俺が日吉さん大好きだから』…と、
こういった流れで日吉にアプローチ出来たから嬉しかったのだ。
しかしそれも度が過ぎると……物凄く腹立たしい。
「それとも日吉さんは、放置プレイが好み?」
「なっ…!」
一気に日吉の顔が朱に染まる。
「俺は焦らされるより焦らす方が好みだったりし…」
「煩い、黙れ!!!!」
「ますけど?」
遮られても、気にする事なくリョーマは言い切る。
「もうカルピンの事なんて良いじゃないっすか。今日はずっと俺の傍にいる約束でしょ?」
「誰が何時その様な約束を交わした!?俺はただ、お前の家に泊まる約束を交わしただけだ!」
「それ、ずっと俺の傍にいる事と同義だと思うっすけど?」
「同義じゃない!」
『約束』の意味はともかく、その約束が特別な物である事は双方分かっていた。
今までも夜を共にした事はあるが、それは全てリョーマが日吉の家に押しかけて泊り込んだ為。
日吉が宿泊に、リョーマの家と承知で同意した事はこの日が初めてだった。
「…仮にそうだとしても、ずっと同室にいるだろう。距離にしても1m弱だ」
「0mmが希望」
「ふざけるな!」
怒鳴る日吉。その腕の中で声に驚いたのかカルピンが小さく鳴き、身を捩った。
「ああ、すまないな、カルピン」
そんなカルピンに『リョーマに向けていた睨みは何処へ?』とばかり、日吉が穏やかな表情を見せる。
「ほあら〜」
「縦に抱かれるのは疲れたか?…仕方ないな」
「あ!」
ただでさえ嫉妬していたリョーマの苛立ちが余計に深まる。
リョーマの目の前で、カルピンは日吉の膝の上に仰向けに寝たのだ。
(俺でさえまだ膝枕してもらってないのに…!!)
もちろん日吉の方には『膝枕』を施している、という認識はない。
「よしよし…」
相変わらず、リョーマに対しては絶対見せない微笑を向けてカルピンの喉を撫でている。
オマケにカルピンが心地良さそうにゴロゴロ喉を鳴らすものだから、リョーマにしてみれば気に食わない事この上ない。
「日吉さん……」
「何だ?」
「泣きますよ、俺」
「あのな」
「ならやっぱり俺を焦らしてるんすか?」
「違う!」
「なら…」
リョーマは両膝を抱えて顔を膝の間に乗せ、軽く上目遣いに拗ねた視線を送る。
「せめて俺の隣、来て下さいよ」
「…………」
日吉は無言を返し、リョーマの視線に困った顔をする。
自らが年上である事を強く意識している日吉には、これが一番有効だとリョーマは学んでいた。
時々は押すばかりでなく、一度引いてから一気に押し返す方が有効なのだと。
「ねぇ、日吉さん?」
「…………」
無言のままカルピンをそっと抱き上げて立ち、日吉がそそ…っとリョーマの隣へと移動してくる。
その隣に腰を下ろすと、日吉は定められた流れの様に足を伸ばした。
リョーマの傍、かつ同じ床に座る時、日吉は正座をしない。
またリョーマが足を伸ばしていた場合は、逆に日吉が脚を曲げて座る。
これは時々自分との身長差を気にするリョーマの為に、日吉が無意識に身に付けた習慣だった。
「……これで良いんだろ?」
「ん」
まだ距離は1、2cmあったが、リョーマは頷いた。
「ほあ……」
「?…よしよし…」
クス、と日吉が笑った。
「何でまたカルピン撫でてんの、日吉さん?」
「またそういう事を言う。…カルピンが眠ったからだ。少しでも安眠が出来るように、な」
呆れた顔をしつつもカルピンの体を撫でながら、日吉が説明する。
「俺の太腿の上など寝心地が悪いだけだろうから」
「そんな事…!」
「大声を出すな。起きてしまうだろう」
「う……」
これ以上不満を零せば本気で怒られてしまうと直感で感じたのか、リョーマはひとまず言葉を飲み込んだ。
(まったく…これだから自分の魅力に気付いてないのは困るよな…。
 日吉さんの太腿が寝床だったら、どんな高級羽毛布団や枕だってアスファルトと同じなのに)
第一寝心地が悪いなら、初めから太腿の上に残らないだろう。
チラと横を見れば愛しの日吉の太腿の上、更にその指に撫でられて眠るカルピン。
カルピンが気持ち良さそうに寝息を立てる度、リョーマの嫉妬は掻き立てられていく。
「……」
そっと、リョーマが日吉の肩にもたれ掛かる。
「…おい」
「良いじゃないっすか。カルピンは太腿なのに、俺は肩で我慢してるんすから。むしろ誉めて下さい」
「どういう基準だ?」
「鈍いっすね」
「?」
「日吉さんの全てが、俺のモノって意味」
「な…っ」
日吉の動揺が、肩からリョーマに伝わった。
「日吉さんは、俺とカルピンとどっちが好きなんすか?」
「ちょっと待て」
「待たない」
「自分と飼い猫と比べるのは止せ」
日吉は呆れたが、リョーマにしてみれば至極真面目な問題だ。
「なら答えて下さいよ」
「比べるものの次元が違うだろ。直線と球とを比べ、どちらが硬いかと問う様なものだ」
「それでも答えが欲しいんすよ、俺は」
「……はぁ」
また日吉が、深く溜め息をついたのが分かった。
その後、溜め息とは違う振動がリョーマに届いてくる。
「?」
もたれ続けることが難しくなり、僅かにリョーマが頭を離すと、
「日吉さん…」
カルピンを起こさない様に自らの太腿の上から傍にあったクッションへと映す、日吉の姿があった。
「ほら、これで良いだろ?だからお前も妙な考えは……って、おい」
「はい?」
日吉の声が冷たくなる。
「何しようとしてるんだ、お前は?」
「カルピンがいなくなったんで、俺が膝枕してもらおうかと」
寝転ぶ寸前のリョーマの頭を押さえ、日吉は膝枕を阻止する。
「来るな!」
「痛いっすよ、日吉さん」
だがリョーマも負けずに愛しい日吉の太腿を枕にしようと彼の両手首を掴み、攻防を展開する。
「だから来るな!離れろ!!」
「そこは俺だけの場所なんすよ」
「誰が決めた、そんな事!?」
「俺」
「勝手に決めるな!!」
「ケチ」
「ケチで良い!!」
けれど流石に、古武術で鍛えてある日吉の力には敵わず、グイと押し退けられてしまった。
「むー…」
「今度は拗ねてもダメだ」
赤い顔で、日吉はそっぽを向いた。
ただこの動作も、リョーマを見続けていればいずれ絆されてしまう自分を、無意識に自覚している所為だったりする。
「あーあ」
「?」
だが日吉の予想に反し、次にリョーマの口から出たのは膝枕への要望ではなかった。
「俺、猫になりたい」
「は?」
腕を支点ににじり寄り、再びリョーマは日吉の傍に座る。日吉の肩に手をかけ、
「猫耳・尻尾と鈴首輪つけて、ニャーって」
「バカか、お前」
日吉がリョーマの手を払う。
「だって猫だったら日吉さんに大切にしてもらえるし、抱き締めてもらえるし、膝枕だってしてもらえるし」
「あのなぁ…」
「じゃあ少しは、見せつけてるって事を自覚して」
「飼い猫に嫉妬するな」
「嫉妬する。俺、まだ子供っすから」
「…はぁ。本当にお前という奴は……」
「バカっすよ」
そ…っとリョーマがまた日吉の肩にもたれ掛かる。
「離れろ」
「嫌だ」
日吉の一段と深い溜め息が、肩越しにリョーマを揺する。
「何もするなよ」


こうしてリョーマの嫉妬は治まったに見えた。が、
「こらっ、く…くすぐった…っ、ダメだろっ…ハハっ」
目を覚ましたカルピンは再び日吉にじゃれ付き、日吉も優しく応えていた。
「カルピン、ほら、玩具はそっちなんだから…っ。俺は何も…も、持ってないぞ…っ!」
「ほあら〜」
リョーマの存在など、まるで瞳に入っていないかの如く。
(く…)
悔しい。かなり悔しい。
「ほぁ」
「ぁ」
「!!!!」
リョーマの顔が引きつる。
リョーマの目の前では、日吉とカルピンの口同士が軽く触れ合っていた。
当然ほんの偶然であり、一秒にも満たない出来事であったが、リョーマはその瞬間を素晴らしくバッチリ見事に目撃してしまっていた。
(アイツ…)
二人きりの甘い時間を邪魔しているばかりでなく、恋人の口唇まで奪うなんて(リョーマにはそう見える)。
(俺の日吉さんに何て事をッ!!!!)
リョーマの瞳には、カルピンが飼い猫ではなく恋敵にすら見えて始めてしまう。
(いや、落ち着け。日吉さんの事だ。すぐにカルピンなんて突き飛ばして俺に助けを…)
「ほあら〜」
「仕方ないな、お前は。俺の顔など舐めても味などしないと、何度言えば分かるんだ?」
しかし日吉の方は、カルピンはただの猫なので何を気にする事もない。
キスでも何でもないのだから、慌てる必要すら何もない。
「な〜」
「はは…っ、だ、だからくすぐったい……!」
(俺の日吉さんなのに…!俺の前で日吉さんに手を出し続ける卑劣な男になんて負けるか!!)
リョーマの嫉妬は頂点に達し、遂にカルピンを同じ男として意識していた。
「日吉さん!」
「!…な、何だ、チビ助。急に大声を出して…」
「勉強しましょう、勉強!折角っすから、勉強しましょう!だからカルピン、お前邪魔!!」
「あ…、おい」
日吉の腕からカルピンを奪い、リョーマはテイッと室外へ追い出す。
「ほあら〜」
「いいから邪魔するな。俺の!日吉さんなんだからな」
「おい!」
背後で日吉が怒鳴ったが、リョーマには関係なかった。
とにかくこの邪魔を追い出し、二人きり空間を作る方が先決。
そうだ。何故もっと早く、行動を起こさなかったのか。
バタン!と扉を閉めて、リョーマはある種の達成感を感じていた。
「さぁ、これで落ち着いて勉強が出来るっすね」
振り返ったリョーマの表情には軽い優越感が浮かぶ。
「お前……少し可哀想じゃないか?」
「いえ。カルピンは散歩が趣味なんで、いつまでも家に居ると神経症で体崩すんすよ」
「そうなのか?」
「ええ」
初耳といった顔をした日吉に、キッパリと頷くリョーマ。
彼は真顔で嘘をついていた。
「それはすまない事をしたな…。きっと俺が構うから、出て行けなかったんだな……」
(ああ、切なげな日吉さんも可愛い…
じゃなくて)
呵責に苛まれる日吉に、リョーマは優しく寄り添ってその肩に触れる。
「そんな事ないっすよ。それは飼い主である俺が、一番よく知ってますから。
 ホント…日吉さんは優しいんすね……」
「そういうのではない……」
日吉が気恥ずかしそうにしたのを見、リョーマは更に爽やかに微笑みかける。
「いえ、日吉さんは優しいっすよ。俺、そんな日吉さんを愛してますから」
「チビ助……」
リョーマの言葉に日吉はぽー…ッと顔を赤らめたが、すぐ顔を反らす。
「…何を馬鹿な事を。勉強するんだろう?早く準備しろ」
自身の心の動きを誤魔化す様に、日吉は宿泊用鞄から教科書やノート類を取り出し始める。
(いつまでも慣れないんだから、日吉さん。そこが初々しくてイイんだけど

「…何を見ている?お前も準備しろ」
「いえ。要りませんよ」
クスとリョーマが笑う。
「勉強するんだろう?」
「そ、英語の勉強をね」
「英語を?そうか、お前は海外に居たんだったな」
「だから、会話で身に即した勉強をするんすよ。その方が役に立つしね。
 なので今から日本語は禁止。Let's talk with me in English.」
≪訳:俺と英語で話しましょ≫
ニコリとリョーマは笑う。
確かに学年が違う以上、勉強をするといってもそれは個人作業になる。
けれどこれならリョーマの方が歳の差を補って優位に立てるし、
だからと言って日吉が教わるだけで終わる事も無い。
「だがお前の勉強にはなっていない気が…」
「Don't speak Japanese, please.
≪日本語話しちゃダメっすよ≫
 And it is prohibition that the close of the conversation from you.」
≪あと日吉さんからの会話の打ち切りは禁止≫
一応、教科書で用いられる文語的な言い方を選んで伝える。
氷帝学園二年の英語が何処まで進んでいるかなどは分からないが、何とかなるだろう。
「O.K?」
≪分かりました?≫
「……O.K.」
≪……良いだろう≫
日吉は取り出した教科書とノート類を仕舞う。それからリョーマとはミニテーブル越しに腰掛けた。
「Please come next to me.」
≪俺の隣に来てよ≫
「No.」
≪断る≫
リョーマは笑顔で手招きして見せたが、日吉の答えはそっけない。
「Why? Do you love me, don't you?」
≪何で?俺の事、愛してるんすよね?≫
「Shut up!」
≪黙れ!≫
思わず怒鳴ってもちゃんと英語を使ってくれる辺り、律儀な日吉だったりする。
「I love you very much. So become honest, please.」
≪俺は凄く日吉さんを愛してます。だから正直になって下さい≫
「Don't speak any more!」
≪それ以上言うな!≫
「Do you dislike me? If it's true, I am very sad…….」
≪俺の事が嫌いっすか?だったら、凄く悲しいな……≫
「……I have not said so.」
≪……そうは言ってない≫
打ち切りたそうな視線が、日吉から伝わってくる。
それでも日吉が続けるのは、まだ始まって僅かなのと先程の約束の所為だ。
リョーマは立つと赤面した日吉の前に座る。日吉の瞳を逃さずに見つめ、真剣な表情で。
「I want you to talk me "I love you". 」
≪俺は「愛してる」って言って欲しいんです≫
「Shut up……!」
≪黙れ……!≫
日吉はまだ何か言いたそうな顔で、リョーマを見ている。
言いたい文句はあるのだが、それを伝える英文が思い浮かばないといった表情だ。
悔しそうに、自分の学んだ範囲で伝えられないか、必死で考えている。
「……O.K.
≪分かりました≫
 If you answer my question, I finish this conversation.」
≪もし日吉さんが俺の質問に答えられたら、それで終わりにします≫
「…What?」
≪…何だ?≫
「Do you love me?」
≪俺の事、愛してます?≫
「ッ!!!?」
面食らって日吉が硬直する。顔は今までになく、赤い。
簡単な二択。「YES」か「NO」しかない。だが日吉にとって最も答えたくない二択。
もちろんリョーマは確信犯で、それを行っている。
「……You are sly.」
≪卑怯だぞ、お前≫
「If you cannot answer to my question, you don't need to answer it.」
≪答えられないなら、答えなくても良いっすよ≫
「?」
「Instead of it……」
≪代わりに……≫
「え…っ?」
リョーマの両手が素早く日吉の顔を捕える。
「んっ!?」
次の瞬間には、リョーマは日吉の口唇を奪っていた。
「ん、んぅっ、んー!」
日吉が平静時のまま力勝負になる前に、リョーマは舌で日吉の口唇を割り、舌を口内に滑り込ませる。
「…っ、ぅ……ん……っ」
自分の肩を握った手が次第に力を失っていくのを感じながら、リョーマは久々の感触を楽しんでいく。
微妙に角度を変え、何度もキスを繰り返す。
リョーマの肩から日吉の手が落ちるまで、キスはしばらく続けられた。
「…は、ぁ……っ」
キスが終わると同時、力を消耗した日吉の身体が揺れる。
その身体をリョーマは抱き寄せ、支え、
「キスしますけど…って、もう遅いみたいっすね?」
軽く意地悪な笑みを浮かべた。
「偶にはこういうシチュエーションも新しくて楽しいでしょ?」
そして肩で呼吸する日吉を抱き締めながら、当初の目的が果たされた事を暗に告げる。
「それにしても日吉さんの英語、綺麗っすね。相当勉強してるのが分かるし。
 分からない所があったら、俺に聞いて下さいね

「……この……ッ」

バシーン!!!!

「……日吉さん、酷い」
リョーマの頬には赤い手形がくっきりと。
「自業自得だ!拳で殴られなかっただけ有難く思え!!」
「結構感じてたく」
バフッ!!!!
高速で投げられたクッションに、リョーマの顔がめり込む。
「……日吉さん」
「知るかッ、バカッ!!しばらく俺の半径1mに入ってくるな!!!!」
「…………」
相変わらず恋人はつれない。
彼の言葉通り、しばらくは許してもらえないだろう。
(やっぱりまだあの程度じゃ素直にはならないか…)
めり込んだクッションを剥がしつつ、日吉に気付かれぬようクスと笑う。
(まぁ、本当の楽しみは夜に……ってね、日吉さん


−−−

とは言え、仮にも恋人同士。
おまけに日吉の責任感と年上意識の強さ、リョーマの計算高さが手伝えば、
「日吉さん、もっとくっ付き合いましょうよ
ぎゅうっと
「煩い!お前は少し反省しろ!!」
「良いじゃないっすか

「良くないッ!!!!」
一時間弱後には二人はすっかり普段の状態に戻っていた。
ただ一番大きいのは、やはり日吉の『慣れ』のなのだろうが。

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