これは数年前の出来事。
まだテニスに対しては『凄い』という思いだけで、
「いつか自分もあのコートに立つんだ」とか「誰よりも強くなるんだ」とか、
そんな決意抜きにして、ただ『凄い』という感情しかなかった頃。
俺は、一つの出会いを経験した。 「そして僕は恋をする」
「あ…」
夕暮れ時。天根は偶然通りかかった遊び場に、一人の見知らぬ人物を確認する。
もう皆帰ってしまったのか、そこは普段とは別の顔を見せていた。
それだけに、初めて見る人間の姿が一層際立って感じられた。
「ねぇ」
アスレチックの一つに腰掛け、背を預けていた相手に声をかける。
近づいて、自分と同じ位の歳だろう相手の前に立つ。
「どうしたの?」
声をかけても相手からの反応は一切ない。その為、天根は少し不安になる。
「……」
益々顔を近づけ、相手の顔を覗き込むと……耳に微かな寝息が届いた。
(あ、なんだ。寝てるだけか)
無反応の理由が分かって、一転して天根は安堵する。
失礼な行為だという事は分かっていたが、相手の顔や全身を、好奇心からマジマジと眺める。
(やっぱり初めて見る。新しく引っ越してきた子…?)
「ぅ…」
「ッ!」
相手の小さな反応に、思わずビクッと身を縮める。
だが相手はそのまま起きる事なく、再び寝息を立て始める。
「…………」
天根は物珍しさも手伝い、相手を見続ける。
涼しい風が相手の薄い茶の髪を撫で、サラサラと流す。
自分の髪では在り得ない光景に、思わず魅入ってしまう。
(…………)
不思議なものを目前にしているかのように、天根はただ相手を見つめた。
自分達の周りだけとても緩やかに時間が流れているかの様な、そんな気さえしてくる。
耳に届くのはは静かな相手の寝息と風の音だけ……――――。
惹き寄せられる様に、天根の手が相手の頬に伸びて、
「ん…」
「っ!な、何してるんだ、俺…っ!」
温もりを感じた瞬間正気に戻り、慌てて手を離す。
触れた頬は温かく、けれど風にずっと吹かれていた所為か、冷たさも同時に伝わってきた。
「もう遅いし…起こした方が良いはず……」
小さな後ろめたさの様なものを感じながら、天根はその隣に腰を下ろす。
「起きて。ねぇ、起きてー」
肩をゆさゆさと揺らし、覚醒を促す。
「ん…ぅ、…ん……?」
反応がこれまでと違っていたのを受け、天根は更に揺らす。
「起きて起きて」
「あ……」
相手の瞳がぼんやりとだが開き、周囲の状況を探ろうと動く。
「起きた?」
「ぅわっ」
いきなり顔を間近で覗き込まれたのに驚いて、相手が咄嗟に身を引いて離れる。
「おはよう」
「あ、な、何……?」
「寝てたから。そろそろ帰らないと風邪引く」
「あ、そ、そうか…。すまないな」
「どういたしまして」
笑顔で立ち上がると、天根は相手の正面に立つ。
「はい」
「?」
差し出された手の意味が分からないのだろう。相手は答えを求めて天根を見上げた。
二人の視線が重なり、瞳には互いの姿しか映らない。
「急に立ち上がるの大変だろうから」
「いや…大丈夫だが…」
「遠慮しなくて良い」
「あ…っ」
天根は強引に手を取って、立ち上がらせる。
「……度々、すまない……」
相手は何処か気まずそうに、瞳を伏せ目がちに告げてくる。
少し顔が赤く見える。
「別に気にしないで。俺が好きでやったんだ」
「だが何故、俺の為に…?」
「…だって凄く綺麗だったから」
「は?…き、綺麗…?」
心に浮かんだ言葉を、まるで当然といった風に天根は言う。
「うん。凄く綺麗だなって。俺の周りにはいないタイプだから、余計綺麗だと思った」
「答えになってない!それに…男が綺麗だと言われても少しも嬉しくない!」
「あ、やっぱり俺と同じ男子だったんだ」
「当たり前だろう!!」
天根の言葉に、彼は怒った様に叫び返した。
『少し』の赤さだった顔は、もうすっかり赤く染まっていた。
「だって何か良い匂いした。女の人が付けるみたいなヤツ」
「……香水の所為だ」
益々不機嫌そうに、彼は答える。
「男なのに?」
「無理やりされた」
「どうして?」
「母にお茶会があるからと連れられて、母の友人の下を訪ねたんだ。
そしたら、その方が面白がって俺に化粧を施してきた」
「今はしてないけど?」
「…化粧の次は、女物の着物を着せてお茶会へ参加させようなどと言い出された。
だから逃げてきたんだ。化粧は逃げた後、水道で落とした。だから今はある程度落ちている」
「へぇ…」
ふと、天根は化粧をし、女物の着物を着た彼を想像してみた。
着物は七五三や正月で見るレベルの知識しかないので、それを当てはめた。
(結構…似合うんじゃないかな……)
彼には穏やかな色が似合いそうだ。
赤とか黒とか、そんな強烈な色ではなく…穏やかだが強く自己の存在を訴える色が。
あまり色が強烈だと、彼の折角綺麗な淡い髪や瞳の色が薄れてしまいそうだから。
「どうした?何を考えてる?」
「…何も」
彼の睨みに気付き、天根は咄嗟に嘘を答える。
想像しただけでなく似合うと思っていた、などと正直に答えれば彼が怒るのは目に見えていた。
「そうだ。なら帰らなくて良いの?逃げて、どの位になる?」
「……恐らく三時間は経っているだろうな。
逃げた時はまだ陽も高かった上、ここに来るまでにも相当な時間走っていた様に思う」
「三時間!?」
結構凄い事をさらりと言った彼に、天根は至極驚く。
「お母さん、凄く心配してるよ…それ…」
「そうでもないだろう。以前も女物の洋服を着せられかけた時、五時間ほど逃げたが……
帰宅した時は平然と夕食の支度をしていたからな。
今度もしばらくすればお茶会の会場に顔を出すと思っているはずだ」
「お茶会って何時から?」
「五時からだ。そのままホテルで夕食会もするそうだから…終わるのは九時頃になると言っていた」
「じゃあ、まだ少しは平気なんだ」
近くにあった時計は四時二十分程度を示していた。
「まぁ…そうだな。だがそろそろホテルへ向かわなければ。
さすがに正装に着替えぬまま、会に姿を見せる事は出来ないからな」
「ふぅん」
別にその格好でも問題無いと思うのに、と天根は不思議がった。
天根にはまだ、彼の言った『正装』の意味がはっきりと捉えられていなかった。
一般に彼の様に幼い者には馴染みないだろうから、仕方ないと言えば仕方ない。
「そのホテルって、ここから遠い?」
「知らない」
「え!?」
「化粧を落とせる水道を第一に求めていたからな。正直、ここがどこかも分からないんだ」
自分で口に出してみて、改めて自らの行動が浅はかだったと反省したらしい。
彼は何処か悔しそうに天根から顔を反らした。
「なら、俺が案内する」
「!…お前が?」
「俺、道とか詳しいから。何処のホテル?」
「――だ。――ホテル」
「そこなら知ってる。大きくて有名で、俺一回観光に行った事ある」
「観光に行く様な所か?」
「凄くカッコ良い建物だったから。テレビにも出てたし」
嬉しそうに笑いながら、天根は任せろとばかり彼を見た。
天根にしてみれば、彼とまだ時を同じく出来る事が何より嬉しかったのだ。
「だがお前は良いのか。早く帰宅しなくて…」
「俺も大丈夫。六時位までなら、全然平気」
「しかし…」
「良いから。遠慮しない!」
「あっ!」
唐突に両手を取られ、彼が天根のほうを向き直す。天根は真っ直ぐに彼の瞳を見つめた。
「俺を信じて。それに俺、もっと一緒にいたいんだ」
「俺、と……?」
「うん」
「…………」
「?」
「変わった奴だな、お前は……」
彼は何とも言い難い表情をして、けれど気恥ずかしそうに手を解く。
「なら、頼む。……俺を案内して欲しい」
「任せて!」
解かれた手を天根はまたも取り直し、互いの胸の前で握り締めた。
−−−
夕暮れの道を、二人は並んで歩く。
「それで、この前は学校で……」
「……」
「…………」
「?どうした?」
話の途中に黙り込んでしまった天根を、彼は心配そうに見る。
「ううん、何でも」
「そうか?」
『何でもない』という理由を訝しんだのか、彼の視線が僅かに苛立ち含んだものに変わる。
「少し…話す事を忘れただけ」
「なら、良いが…」
口ではそう言っても納得いかないのか、彼は首をひねる。
しかし天根の方はそんな様子に気付かず、別の事を考えていた。
(やっぱり疲れてるのかな。さっきからずっと難しい顔…)
身近な話題を口にし、楽しんでもらおうと思っていたのだが、それじゃダメなのかもしれない。
もっと積極的に、笑ってもらう努力をすべきなのかもしれない。
「あの」
「ん?」
「突然だけど怖い話して良い?」
「本当に突然だな」
呆れと驚きの混ざり合う声が、天根の耳に届く。
「あまりその手の話は好きではないが……良いぞ」
「じゃあ早速」
雰囲気を出す為に、天根は神妙な面持ちをする。
「とある山奥の教会に、夜な夜な奇怪な出来事を引き起こす悪の十字架が封印されていました」
「あ、ああ…」
彼の表情が、僅かに強張る。
怪談系が苦手だと言うのは本当らしい。
「しかし再び怪奇現象が起こり始めたので人々は再び封印しようと、夜にその教会を訪れました。
ところが教会の扉は固く閉ざされていて、どんなに力を込めても一行に開きません」
「……」
「何度試しても一行に開かないので、人々がどうしよかと思っていたその時、
人々は一つの張り紙に気付きました。その張り紙にはただ一行」
「ああ」
「『営業時間:10〜21時』。そして人々は一言、『開くの十時か〜』と帰っていきました」
語り終えた事自体に思わず満足してしまう天根。
「……それで?」
「え゛?」
真顔で聞き返されても、天根にはこの続きの答えなどない。
普段なら呆れられるか激しいツッ込みを喰らうか、はたまた無視されるかのどれかだっただけに。
「いや、あのこれはその……だから、本当は怖い話じゃなくて……。この話の意味……分かる?」
「分かるぞ。その教会は午前十時に開き、午後九時に閉まるのだろう?」
あくまで相手の顔は、真剣そのもの。
益々天根は返答に困ってしまう。
「あ、いや……だから、『悪の十字架』と『開くの十時か』をかけたシャレだったんだけど……」
「そうなのか?」
「うん……」
「それでその話は、もう終わったのか?」
「一応……」
「そうか」
簡素に言い、彼は再び前を向いた。
全く未知の反応に、天根は軽くショックを受けていた。
自分では面白い話だと確信していただけに、まさかオチ自体に気付いてもらえなかったなんて。
「あの、とりあえず他にも『悪の教会』とかあるんだけど…これのオチは……」
「開くのが今日なのか?」
「そう……」
もしかして自分は自分が思っている程、面白くないのだろうか。
天根が自信喪失し、一つ深い溜め息を吐く。
「……すまない」
「え?」
「俺はその手の話も苦手なんだ。ただ好きではないという意味ではなく、知識が無いんだ。
だがお前が、俺の気分を解してくれようとした事は分かる」
「そんな事…」
謝らせてしまった。そんな顔を見たい訳じゃなかったのに。
「だ、大丈夫!分からないなら、俺が教えてあげる。きっと面白いのが見つかるよ」
「まだあるのか?」
「だってネタの宝庫、俺」
「それは凄いな」
嫌味でも呆れでもなく、素直にそう感心されたのも、天根には初めての経験だった。
それから天根は、持てる力とネタの全てを駆使して自慢のダジャレを語り続けた。
けれど彼の反応は今までと同じく『?』と首を傾げるものばかりで、天根の期待する反応は一つも返ってこない。
天根をよく知る者にしてみれば、そのダジャレは一つとして面白くないのだから、それも当然かもしれない。
持ちネタが尽きていき、天根はどんどん窮地に追い込まれてばかり。
その顔には焦りからくる汗が滲んでいた。
「えっとそれから、あとまだ……」
天根が限界を超えかけた瞬間、
「ふふ……っ」
「え?」
不意に隣から柔らかな笑い声が聞こえ、ハッと天根が彼の顔を見やる。
「っ…すまない。ただ…、ははッ」
「!」
彼は確かに笑っていた。
口元に手を当て、小さく肩を震わせていた。
「本当にすまない。ただ、あまりにもお前が一生懸命なものだから」
そう言いながら、彼は申し訳無さそうに、だが間違いなく笑っていた。
「あ………」
彼の笑顔に、天根は思わず体温の上昇を感じた。
初めて彼を見た時は人形の様に綺麗だと思ったけれど、笑うと思わずドキドキしてしまう程可愛い。
本当は自分のダジャレで笑って欲しかったのだが、当初の目的は果たせたから良しとしよう。
天根も心から嬉しくなって、笑った。
「ううん。もっと笑って良い。俺、もっと一生懸命になるから」
「本当に変わった奴だな、お前は」
彼の微笑みはとても穏やかだった。
「そうかな?」
「ああ。俺の周りには、お前の様に俺の為に必死になってくれる者はいない」
「えっ?」
「あくまで同年代の者に限ってだぞ?」
「でも友達とかは?」
「上辺だけの友などいらない。だからいない。欲しくもない」
きっぱりと、彼は何でもない事のように言い切る。
「寂しくない?」
「ない。上辺だけの友を持つ方が寂しいものだ。
だから待っている。一目見て『そうだ』と思える者と出会える時を」
「…………」
その瞳は毅然と優しく、確固たる信念に満ちていた。
一見、受身ともとれる発言も、その瞳で言われると逆の意味で伝わってくる。
そしてふと、不安になる。
(俺はそうだと思ってもらえたのかな…?)
もし『そうではなかった』と言われたら……を考えただけで、何故だか無性に胸が痛くなる。
まるで独り、取り残されるような気分になる。
彼は今日、それも数十分前に初めて出会った相手なのに。
「…どうした、暗い顔をして」
「あの……」
「?」
聞くのが怖い。けれど聞かずにいるのは、彼との距離を出会った時以上に離してしまいそうで。
「俺、は…?俺は……どうだった?友達に、なれる?」
訪ねた瞬間、彼は少し驚いた顔をした。
その様な事を尋ねられるとは予想だにしていなかったらしい。
「違うと思った」
「え…」
「初めて出会ったあの瞬間はな」
彼は柔らかく、口元を綻ばせた。
「だが今は…そうだと思っている」
「だけど…」
「言葉通り、『本当に出会った瞬間』に分かるものじゃないみたいだな。
初めはそう思えなくても…時を共にする内に『そうだ』と思う相手がいると、今日分かった」
「……」
「もっとも、お前が迷惑でなければ…の話だ」
「ぁ…」
嬉しい。照れ臭い。恥ずかしい。
頬を赤く染め、天根は僅かに下を向く。
「俺も、友達になりたい」
「…そうか?」
「うん!」
顔を一気に上げて、はっきりと断言してみせる。
彼は天根の言葉に、ただ嬉しそうに笑い返してくれた。
−−−
少しして、二人は目的の場所に到着した。
「わざわざすまなかったな」
「最初に言った。大丈夫って」
「そう…だったな」
ホテルの門前で、二人は何処か名残惜しそうに。
「また…会える?今度はちゃんと遊びたい」
「…分からない。不確かな約束は出来ないんだ」
「そっか…。じゃあ、俺が遊びに行く」
「それも無理だ。俺の家は東京にある。お前一人で来れる距離ではない」
彼の言葉は悲しい程に嘘がない。
嘘がつけない性格だと言う事は、短い付き合いでも十分に感じられていた。
「けど感謝しているし、お前を友だと思う気持ちに嘘はない」
何処か辛そうな彼も、やはり本当は『不確かな約束』をしたいのだ。
申し訳ないとばかり、またも笑顔の消えた彼の手を天根は取る。
「なら約束はしない。信じる事にする」
「?」
「また会える。今日だって、会おうとして会った訳じゃない。
もう少し大きくなって、一人でも遠くまで行けるようになったら、また会える」
心からそう信じた天根の瞳を、彼もまた真っ直ぐ見返してくれる。
瞳に映る互いの姿を、しっかりと焼き付ける様に。
「ありがとう」
一言の後、スル…っと天根の手から彼の手が抜ける。
「では、またな」
彼はそのまま、玄関口へと駆けていく。
その背が遠のくのを見ながら、天根はふと今更になって、気付く。
「ねぇ!」
彼の足が、ピタと止まる。
「俺はヒカル。君の名前は?」
そう。まだ二人が、自己紹介をしていなかった事に。
ふわ…と彼の髪が揺れ、その顔が天根へと振り向かれてくる。
まるでスローモーションを見ているかの如く、ゆっくりと彼の表情が届く。
彼は穏やかに微笑み、その瞳はとても純粋に澄んでいて、、、
優しい口唇が、一つの名を紡いだ。
−−−−−−
その後いくら遊び場で待っても、彼は現れなかった。
待てば待つほど時は流れて、次第に記憶は想い出へと薄れていった。
今では、あれはただの夢だったのかもしれないとさえ、思う。
あまりにリアルで鮮明な夢だったから、現実の出来事だと勘違いしたんじゃないか、と。
何故なら彼を見たのは俺だけで、俺以外は誰も彼を知らない。
それでも、夢でも良いからまた会えないだろうか。
数年経った今でも、彼以上に想いを抱けた相手がいないから。
他の友人に対する想い以上に、薄れゆく彼への想いが強すぎるから。
せめて一言告げられたら、夢なら夢でそれで良いのに。
「若」
−−−
遠くどよめきを背に受けて、天根は顔を洗いに洗面所へ向かっていた。
一流私立なだけあって、『水道のみ』という施設はこの学園内には存在しない。
コートに戻ったら、また試合を挑まれたりするんだろうか。
そうしたら同じ相手であっても『200人斬り』なのか、それとも『100人斬り×2』なのか、
はたまた多少違う相手も現れるだろうから『新100人斬り』なのか。
他人から見ればどうだっていい、くだらない問題を天根は真剣に悩み始めていた。
「戻ったら相談してみよう…」
悩みに一応の決着をつけ、天根がちゃんと正面に意識を戻す。
すると正面から、静かな面持ちで一人の少年が天根の方へ向かってきていた。
と言っても、彼はテニス部員の装いをしており、単にコートへ行こうとしているだけだ。
「…?」
よく覚えてないが、少なくとも自校の対戦者にはいなかった。
この学校では練習試合に出ないのはそれ程下位の部員か、一部の選ばれた人間。
天根は、彼はそのどちらかなのだろうと何となく考えた。
身体が無駄なく鍛えられている所を見ると、恐らく後者なんだろう。
そう、多少ではあるが意識して眺めていた所為だろうか。
一瞬、すれ違うその瞬間に、彼と瞳が合った。
『ありがとう』
(え…?)
進みかけた足が、重なった記憶に止まる。
思い返す事さえ少なくなっていた想い出が、何故突如蘇ったのか。
「…………」
遠ざかる足音。加速する想い。
まさか、と天根は疑う。
あの日偶然出会った彼と、この日偶然練習試合に訪れた学校ですれ違い、
偶然二人とも同じテニス部に所属していたなんて。
こんな『偶然』など在り得るのだろうか。
そもそも本当に、これらは『偶然』であったのだろうか。
もし『必然』であったとしたら。
「…………」
天根はまだ信じきれなかった。信じろと言うのが無理な話だ。
けれど、心の底からそうあれば良いと願う自分も確かに在って。
「……なぁ!」
思い切って言葉を発する。
そしてすぐに振り返りざま、彼の背に問い掛けた。
「俺はヒカル。お前の名は?」
彼の足は、既に止まっていた。
ふわ…と彼の髪が揺れ、その顔が天根へと振り向かれてくる。
「!」
その動作、微笑、瞳――何もかも全てが、あの日の光景と重なって、、、
「若だ」
――――そして僕は恋をする――――
END
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