鳳長太郎は上機嫌だった。 機嫌の良さは彼のテニスにも反映されていて、普段からノーコンと称される鳳だが、その日行われた試合形式の練習では一本もサーブを外すことがなかった。 とにかく、その日の鳳は極めて好調だった。 「長太郎、今日何か、ヤケに調子良いな」 そんな鳳に、宍戸が声をかける。 「そうなんですよ! ちょっと最近の悩みが解消されたかと思ったら今日はこんなに調子が良くて」 「悩み?」 嬉しそうに応じた鳳の言葉からその単語を聞きとがめ、宍戸は訊ねた。 「ええ。あの、宍戸さん、放課後になってから正門の辺りとか通りました?」 「通ったけど…」 「何か気付きませんでしたか?」 「あー…どことなくガラ悪そうな奴が外にいたような気がする」 「それです!」 「はぁ?」 その話と鳳の悩みとやらがどう結びつくのか分からなくて、宍戸の声音には訝しげな色が混じる。 そんな彼にはあまり頓着しない様子で鳳は続けた。 「ほら最近、若狙いの馬の骨がよくうろついてるでしょう? 誰とは言いませんけどー、ワカメ頭の神奈川県民とか何考えてんだか分からない千葉県民とか青学のチビとか…!」 「え、あ、まぁ、そうだな」 半ば鳳の勢いに圧倒されながらも宍戸は相槌を打ってやる。 「…情けない話ですけど、俺ひとりの力じゃあいつらから若のことを守り切れる自信がなくて悩んでたんですよ」 「…それで?」 「それで、ちょっとしたツテを辿って、今日門の所にいる人たちにお願いして、奴らが来ても校内には入らせないようにしてもらったんです」 「……。そうか、良かったな」 …一体鳳にはどんなツテがあると言うのか。 気にならないでもなかったが、何だか怖いので宍戸は深く追究はしないことにしておく。 「はい!これで俺も、安心して練習に専念できます!」 溌剌とした笑顔で鳳は答えた。 その様子に、何やら逆に宍戸は頭痛を覚えて額を押さえ込む。 「宍戸さん?どうかしましたか?」 「…ああ、何か突然頭が痛くなってきてな…。 俺今日はもう帰るわ」 「あ、はい。お大事になさって下さいね?」 「おお…」 宍戸の頭痛の原因が自分にあるなどと、鳳は露ほども思っていないようだ。 そんな鳳に、コイツは日吉のことがかかわらなかったら本当に良い後輩なんだけどな…などと幾許かの哀愁を感じつつ、宍戸はコートを後にした。 去っていく宍戸を見届け、そろそろ練習に戻ろうと鳳はコート内に目を向けた。そうしながら、無意識のうちに想い人の姿を探す。 「…若…?」 無意識のうちに目で探した想い人は、コートの中にいなかった。 念のため、と視線を移してみるが、ベンチにもその姿はない。 得体の知れない嫌な予感が鳳の内に湧き起こった。 「樺地っ!若どこに行ったか知らない!?」 いちばん近くのコート脇に立っていた彼に慌てて詰め寄る。 問われて樺地は周囲を一望し、首を傾げた。どうやら日吉がいないことには樺地も今気が付いたらしい。 「俺、若探してくる!」 樺地の仕草を認めるや否や、鳳は駆け出した。 残された樺地は鳳が慌てている訳が分からず、すぐに自分の練習へと戻った。 「…若、どこ行ったんだろう…」 部室まで行ってみたがその姿はなく、鳳は嫌な予感を抑えきれぬままに日吉を探す。 どこということもなく校内を歩き回っていると、不意に聞き慣れた声が耳に届いた。 「若…!」 その声の方へと走って行った鳳は、そこで、いるはずのない人物の姿を目にした。 「何でおまえがいるんだよ切原っ!!」 そう。わざわざ鳳が学校の各門に人を配置して立ち入らせないようにしていた人物の1人である切原赤也が、日吉と共にいた。 「何でって…あ、もしかして門の所にいたおにーさんたちのこと?あの程度、俺と若の愛の間には何の障害にもならなかったぜ」 「貴様との間に愛などない!」 切原の言葉に、即座に日吉が反論する。 「そうだ!若の愛は俺に向かってるんだ!!」 「おまえ黙ってろよ! なぁ若、照れなくて良いんだぜ?」 「どっちの言っていることも違う!!」 心の底から日吉は叫んだが、当の鳳・切原両名には届くことはない。 「自意識過剰も大概にしろよ切原!若がおまえみたいなワカメ頭、好きになるわけないだろ!!」 「何だと…!むしろ若がおまえみたいなエセクリスチャン好きになる方がありえねーよ!」 「エセクリスチャンって何だよアホ!」 「アホって言う方がアホなんだよバカ!ノーコン!!」 次第に低レベルになっていく2人の口論に、日吉は「どちらの事も好きではない」と言ってやりたかったが、それよりも、2人が言い争うことに熱中し、自分が視界に入っていない間にその場を抜け出す方が賢明だと判断する。 しかし。 「日吉…会いたかった…!」 背後の鳳と切原を気にしながら数歩進んだところで、日吉は思い切り抱き締められた。 「は、離せ!」 日吉が僅かに身を捩ると、素直にその腕は解かれる。が、手は両肩に置かれたままだ。 「日吉も俺に会いたかったよな…?」 しっかりと目を見て問いかける人物の名は、天根ヒカル。天根もまた、鳳の敷いたガードを物ともせず校内に立ち入ってきたらしい。 「会いたいと思ったことなどない」 言い放って、日吉が視線を外す。 「「ああっ!!」」 そこで、口論に集中していた2人が天根の存在に気付いた。 「おまえ若に触ってんじゃねーよ!」 「離れろ!今すぐ若から離れろ!!」 「…日吉は俺のだ」 鳳と切原に対し、些かムッとした様子で天根が呟く。 「ふざけんな!若は俺のだ!!」 「ふざけてるのはおまえもだろ! おまえらなんか、学校が違うどころか都民ですらないくせに!!」 「じゃあ都民だったら良いんすね?」 そこへ、唐突に、それまではいなかった人物の声が割り込んだ。 鳳・切原・天根に加え、日吉まで、一斉にそちらへ目を向ける。 「何でいるんだよおまえ!」 真っ先に鳳がそんな言葉を向けた相手は、青学のルーキーこと越前リョーマ。 「何でって、勿論日吉さんに会いに来たんすけど?」 鳳はそんな答えを求めていたわけではない。 「門のところから入れないように頼んどいたのに結局3人とも…!」 「…別に誰もいなかったけど、門」 「何!?」 さらりと答えた越前に鳳は血相を変える。 信頼できるツテだったはずなのに、どういうことなのか。 「あ、日吉!」 考え込む鳳の側で、切原と天根と越前が牽制しあっている最中、またも日吉はその場を離れようと試みていた。 最も近くに立っていた天根がそれに気付き、呼び止める。 無論、日吉が足を止めるはずはない。 「待てよ若!」 「何で逃げんの日吉さん!」 「若ちょっと待って!」 「日吉!」 「ついて来るなっ!!」 即座に追いかけてくる4人へ、苛々と投げかけて日吉は走る。 追う4人も倣って駆け出し、氷帝学園校内の一画は俄に騒々しさを増すのだった。 一方その頃。 「ったく…。俺様の許可もなしに勝手なことしやがって…」 正門の付近でぼやく人間がひとり。 不快も露なその人物は、氷帝学園に君臨する帝王こと跡部景吾だ。 跡部は自分の命でもなく、門の側に配置されていた人員が気に食わず、どういう手段を使ったものか、彼らを撤退させていた。 …これが、越前が容易に学園内に侵入できた理由である。 「あ、跡部だ」 「あーん?」 不意に名を呼ばれ、跡部はそちらへ視線を向けた。そこには、顔くらいは見知っている人間が3人。 「佐伯に真田に大石…?どういう組み合わせだよ」 門の向こうから歩いてきた3人は、それぞれ、六角中の佐伯虎次郎に立海大附属中の真田弦一郎、青学の大石秀一郎。 普段から行動を共にすることなどはないであろう面子である。 共通点を求めるとすれば、3人ともテニス部の副部長という肩書きを持つことくらいであろうか。 「うん、ちょっとここに来る途中で会ったんだけどさ」 切り出したのは佐伯だ。 「うちに何の用だよ」 「うむ。突然訪ねて済まないが、うちの部員がここに来ているはずなのだが…」 真田の言葉に、跡部が佐伯と大石を見やると、その2人の用件も真田と同様であるようだ。 「俺は見てねーが…日吉のところだろうな」 目の前の3人が属する学校の部員から、それぞれ1人を思い浮かべ、跡部は答える。 「多分な…。跡部、その日吉くんはどこにいるか分からないか?」 申し訳なさそうな様子で大石が訊ねた。 「さぁな…。まぁ、いそうなところには案内してやる」 ついて来い、と歩き始める跡部に3人は続く。 歩いていくうちに、部活動のそれとは趣の違う喧騒が彼らの耳に入ってくる。 「ついて来るなと言っているだろう!」 「そんなこと言って、本当は俺に追いかけて欲しいんだろ、若ー」 「何言ってんだよ、若は俺につかまりたいに決まってるだろ!」 「どっちでもない!!」 「日吉さーん、そろそろ諦めたら?」 「どこ行くんだよ日吉!」 「おまえらのいないところに行くまで諦めるかー!!」 「…いたみてぇだな」 「うちの切原が迷惑をかけているようで済まない…」 「うちも天根が…。ごめん…」 「すぐに連れて帰るから…!」 「…ああ。まぁ、うちの部員にもバカがいるらしいからお互い様、って奴だが…」 向かってくる喧騒を待ち、4人はそこで足を止めた。 「いい加減にしろよテメーら!!」 間もなくやってきた一団の前に、まずは跡部が立ちはだかる。 「跡部部長!!」 その姿を認め、日吉の声にはどこか安堵の色が滲んでいた。 「赤也!おまえという奴は部活をサボってここまで来た挙句、嫌がる相手を追い掛け回すとは嘆かわしい事この上ない!たるんどるにも程がある!!」 「若は別に嫌がってなんかないっすよー」 「うるさい!帰るぞ」 「えー…」 「跡部、それから日吉。迷惑を掛けた」 真っ先に自分のところの部員を叱りつけた真田がそう一礼し、切原を引き摺って帰って行く。 「天根も帰るよ!あ、帰りの電車賃は俺の分も払ってもらうからな」 「うー…」 「剣太郎とハルと亮が説教する準備して待ってるから覚悟しとけよ」 「…したくない…」 「…じゃあ跡部、日吉。今日は本当ごめん」 真田に続き、佐伯が天根を連れて行く。 「さて越前、」 「嫌だ!」 「我儘言うな。竜崎先生がカンカンだぞ!」 「嫌だったら嫌だ!!」 「…大石、抱えてでも連れて帰れよ」 「そうするよ」 言うことを聞こうともしない越前に、呆れた跡部の一言を聞き入れ、大石は越前を抱え上げる。 「帰ったらグラウンド30周だぞ! それじゃあ、本当にお騒がせして済まなかった」 じたばたと暴れる越前をしっかり担いで、大石も帰路についた。 3組が去った後、跡部は鳳と日吉に向き直る。 「災難だったな日吉。練習に戻ってろ」 「はい!」 その言葉を受け、日吉はテニスコートへ向かった。 「鳳、テメーもくだらねぇことやってる暇があったら少しはそのノーコンでも直してろ。こんな事が続くようなら正レギュラーから外すからな」 「そんな…」 「ついでに監督に報告もする」 「それだけは…!!」 「よく肝に銘じて練習に励むこったな。分かったらコートに戻れ」 「は、はい!!」 日吉をめぐる人間関係は、今日も今日とてどこまでも騒がしいのでした。 |
時川さんへ。 わざわざ捧げるほどの内容でもなくてすみません…。 争奪戦、っぽいものって初めて書いた気がします。 若愛連合話ですが、私的には中間管理職の副部長さんたちを書いてるのが楽しかったです(オイ)。 |